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朝日新聞(2)

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昭和11年1月9日【夕刊】p2
邪教大本教へ
”断”の西下
棚町検事と相川課長
大本教不敬事件はその後京都検事局並に京都府警察部で峻烈なる取調べを行つてゐるが大審院棚町検事、内務省警保局相川保安課長の両氏は八日夕か九日朝東京発京都に向ひ、京都検事局、京都府警察部の首脳部から現在の取調べの模様を聴取する一方綾部、亀岡等の現地視察を行ひ更に重要協議を遂げる事になつた、同事件の起訴並に解散問題をめぐつて可成りつき進んだ打合せが行はれるものと思はれるがその結果を棚町検事は検事総長に相川保安課長は唐沢警保局長にそれぞれ報告、今後の対策に備へることとなつた
昭和11年1月10日【夕刊】p2
大本教解散握る両氏西下
【既報】大本教事件の取調経過聴取のため大審院検事棚町丈四郎、内務省警保局保安課長相川勝六両氏は九日午前九時東京駅発燕で京都へ向つた、当局では大体事件の起訴と解散とをほぼ併行して行はうとしてるので両氏今回西下の使命は頗る重大視されてゐる。
昭和11年1月10日 p11
大本教の裁断は起訴同時に解散
【大阪電話】大本教幹部の取調が開始された九日午後四時二十五分大審院検事局思想部棚町検事及び内務省相川保安課長の両氏は京都駅頭に現れ同夜京都検事局府警察部首脳部と重要な打合せをなし十日綾部の本部、亀岡の天恩郷を視察し相川課長は十日夜又は十一日朝急ぎ帰京、棚町検事は尚数日滞洛のはずで両氏の西下は妖教に最後の止めを刺す前提行動として注目されてゐるが相川保安課長は
大本教解散は大体起訴と同時又は直後と思ふ、解散断行は既に決定した方針だと語つた
昭和11年1月16日 p7
指令一下大動員
決死隊まで組織
唖然!大本教の陰謀
邪教大本教に弾圧の手を下した京都地方検事局並に京都府警察部では新春と共に五名の検事及び四十余名の警官を以て五班の検察班を組織し留置中の出口王仁三郎以下幹部四十余名について愈《いよいよ》本格的の取調べを開始したが、たまたま最近綾部、亀岡両本部の家宅捜索を行つたところ
未開の机の抽斗から現金二万円の外古銭なども出て来その他今までに押収した不敬問題に関する証拠物件以外に帝都を目標とする全国信徒部隊の動員計画国家改造案その他の密書を発見した、しかもそれ等の密書を綜合する時は実に恐るべき陰謀が進められてゐたものと見られるので右報告に接した大審院検事局並に内務省では邪教湮滅の目的から京都の検事局並に警察部に徹底的取調べを行ふやう指令を発した模様である
最近の家宅捜索で新たに発見押収した全国信徒部隊の動員計画は九州から北海道に至る迄の信徒に一度指令を発すればどれだけの信徒がどれ位の時間に帝都及び綾部に到着出来るかを表にして明記する外分布図を作つて信徒の人名を記録、あたかも軍隊の動員計画の如く秩序整然としてゐたのには係官を驚かしてゐる、またその部隊は更に日光班、月光班、星光班に分けて決死隊を組織してゐたことも判明したが更に発見されたものの中には国家改造案、昭和の○○といふ密書、大本教が教祖一世直の死んだ年を元年として特別に『神政』といふ年号を用ゐてゐた文書等不敬極るものもあつた、また大砲機関銃その他の武器に暗号を設けてゐた暗号書等それ等多数の新しい証拠物件と照合すると王仁三郎等に恐るべき陰謀計画があつたものと見られるのでこの方面からも追究を進めることになつたわけである
又王仁三郎始め幹部が国体変革を目的に言動してゐた証拠物件も押収、治安維持法の適用についてはすでに確信を得た様であるが亀岡、綾部両本部ではまだ捜索の手が延びぬ未開の書庫、地下室等もあり証拠物件の整理に忙殺されてゐるので王仁三郎等の起訴及び大本教の解散執行までは尚相当の時日を要する模様である
けふ取調べ開始
王仁三郎等六十名
【京都電話】大本教究明に努めて居る京都の検察当局は綾部、亀岡各署における取調べは十四日をもつて打切つたが十五日午後一時から京都府庁参事会室において首脳者会議を開き協議の結果十六日午前九時から一斉に京都各署に留置中の王仁三郎始め幹部六十名の取調べを開始する事に決定した
昭和11年1月17日【夕刊】p2
愈々一ヶ月の後
大本教に引導
棚町検事けさ帰京
大本教大検挙の結果を視察しその取調経過を聴取するため去る九日内務省相川保安課長と共に京都出張中の大審院検事棚町丈四郎氏は京都府警察部、同地方検事局との連絡、証拠品の検討、綾部、亀岡等の現場視察を終へ一週間振りに十六日午前七時卅分東京駅着列車で帰京した、午前十時報告書重要な証拠品の写し等を携へて登庁した同検事は直に木村大審院次長検事と共に総長室に入り約一時間半にわたり光行検事総長に委細報告をなすとともに今後の方針につき重要協議を遂げ正午前散会した
この結果既報の報[如]く不敬罪に治安維持法を併せ適用する根本方針はいよいよ確立されることとなつたが、今後の取調は山積する数千点の証拠品に基き王仁三郎以下四十六名の検挙者一々に対し詳細な聴取書を作成せねばならぬので起訴までにはなほ一ヶ月以上の日数を要するものと見られる
昭和11年2月16日【夕刊】p2
王仁三郎等起訴近づく
大本教事件の教主出口王仁三郎以下首脳部四十余名に対する取調は京都地方検事局の手で鋭意続行中であるが、十五日同検事局徳永検事正から大審院検事局に達した報告によれば右取調も漸次完了に近づき遅くも今月末までには全部終了する見透しがつゐた、今後の取調が順調に進捗すれば王仁三郎外数名の最高幹部は今月二十日頃、その他の首脳部は来月早々治安維持法違反、不敬罪の罪名でいづれも起訴の運びとなる模様である
昭和11年2月19日 p11
邪教の解散へ
警保局長、保安課長も出席し
近く京都で重大協議
内務省では来る二十五、六両日全国特高課長会議を京都に開催、本省からは唐沢警保局長、相川保安課長出席するが、同会議は近く処断される大本教の起訴及び結社禁止等の善後処置の準備工作と見られ、重大視されてゐる、即ち出口王仁三郎以下大本教の起訴は今月下旬か来月上旬行はれることは殆ど確定的であるが、司法処分の起訴と共に内務省では大本教の結社禁止を断行し、全国に散在する支部、関係団体に対しても断乎たる処分を行ふが、相当人心に動揺を与へるものなので、慎重なる善後処置をとる必要を認めたもので
同会議において全国の特高課長に大本教の内容を十分話し且つ綾部、亀岡等の現状を具さに見せるため特に京都を選んで開催するもので、大本教に対する当局の処断に前行する不気味な前奏曲である
昭和11年2月25日【夕刊】p2
大本教解散の断案
三月上旬に発する
今夜警保局長西下
邪教大本教に対する最後の弾圧方法を協議する全国特高課長会議は既報の如く来る二十五、六両日朝鮮、台湾、関東庁からも関係官出席、京都府庁において開催されるので内務省唐沢警保局長、相川保安課長は二十四日午後九時半東京駅発列車で西下する事となつた
第一日の廿五日の会議では唐沢局長挨拶の後、大本教検挙に奮闘した永野内務事務官から大本教検挙に関する状況を詳細に説明、午後は特高課長側より各地の検挙後の大本教信徒についての報告があり最後に大本教の結社禁止並に図書禁止等についての善後処置を指示するはずで廿六日は一同綾部、亀岡両本部を視察する事になつてゐる
尚大本教結社禁止、即ち解散命令は王仁三郎等の第一回起訴決定と同時に発する事になつて居り大体三月上旬の見込みであるが、又綾部、亀岡その他の建物については解散命令後適当の機会に「無願神社建立取締規則」によつて建物取毀し処分を行ふはずで更に大本教の幹部が組織する傍系団体たる昭和神聖会、昭和坤生会、昭和青年会、更始会等に対しても解散命令が発せられる筈である
昭和11年2月25日 p11
大本教問答
検事と王仁三郎
二月半ぶりで送局
『すべて行詰つた時立替、建直しが実現』
最重点訊問に答ふ
【京都電話】妖教大本壊滅大評定の全国特高課長会議は今二十五日地元の京都府庁で開催されるがこれに先立ち同教の総帥出口王仁三郎(63)は留置生活二ヶ月半ぶりで送局、初めて検事局に引出され取調べられた
二十四日午後一時過ぎこつそりと五条署の留置場から京都検事局に送られた王仁三郎の姿は例の長髪も剃落し二寸ばかり伸びた白髪、頬、頤等にも不精鬚を伸ばし黒つぽい絹物の着物羽織の上にトンビを着た土臭い田舎爺さんそつくりだ、長い留置場生活にも拘らずやつれた色も見せぬ元気さでまづ小野思想係主任検事に丁寧に頭を下げ峻烈な訊問の矢面に立つた、訊問の大要は左の通りであつた
検事 君と僕とは敵同士の仲ではないのだから何もかも話して貰ひたい
王仁 それでは現在の心境を述べる前に当時私が考へてゐたことをお話し致しませう
と王仁三郎は自著の霊界現界の解釈等大本教義につき太い京都弁で一々明快に説明
検事 教義の中の「立替建直し」とは如何なる意味か──
と治維法に触れる重要点に訊問の矢が向けられる
王仁 立替とはロシヤの共産主義等凡ゆる左翼思想を意味し建直しとは日本主義等の右翼思想をいふのです
検事 立替、建直しの行はれる時機は何時頃と思ふ?
王仁 その時機は思想界経済界その他凡ゆるものが行詰つた現在の制度が自然に崩壊してその後に実現するものであると考へてゐます、だから何時頃か判りません
引続き治維法、不敬の両罪に抵触する教義その他につき重要訊問が行はれたが夕刻一先づ第一回の取調を打切り王仁三郎は同夜再び五条署に帰された
なほ同日中立売署に留置中の王仁三郎の参謀総本部総務岩田久太郎(63)本部庶務課主任井上留五郎(65)統理補高橋鉄男(63)同東尾吉三郎(49)の最高幹部四名は警察部の取調を完了し正式に送局され鈴木、田辺、玉沢三検事の取調を受けた
”断乎処分だ”
車中談 唐沢警保局長
【小田原電話】二十五、六両日大本教の本庁のある京都で開かれる全国特高課長会議へ出席のため二十四日夜九時半東京駅発で西下した唐沢警保局長は車中で語る
地方で全国特高課長会議などを開くのは前例がないが今度京都で開くことにしたのは京都は大本教の本拠であること、事件を取調べた者が殆んど京都にゐること、全国の特高課長に大本教に対する認識を深くしてもらふためです、私は廿六日午後亀岡を視察廿七日綾部を視察するが特高課長一行は二十七日両本部を視察するはずです、大本教は調べるに連れ悪虐不逞の事実が現れその根本観念は絶対に許すべからざるものである事が明瞭となつたので断乎処分せねばならぬ、然し一般信者の中には王仁三郎等の思想を知らぬものが多かつたと思ふのでそれ等の善意の信者は出来るだけ説諭して改心させ総てを平静の中に解決する方針です、結社禁止並に建物の取壊しの指示はなほ研究の上決定する事になつてゐます
昭和11年2月26日【夕刊】p2
大本教に鉄槌
けふ特高課長会議評定
【京都電話】大本教壊滅に下される最後の鉄槌解散命令、関係建物破却命令の発動を前にしてその善後対策打合せのため特に地元京都府警察部に召集された全国特高課長会議は二十五日午前九時半から京都府会議事堂で開かれた唐沢局長の挨拶、訓示に次いで午前中は内務省永野事務官から取調べの経過説明があり午後は出席各課長から夫々地方の情勢を述べた
昭和11年3月7日 p11
王仁三郎等の起訴命令稟請
【京都電話】妖教大本教壊滅を目指して京都検察当局は活躍して居るが大本教総統出口王仁三郎(76)を始め史実課長吉野光俊(54)統理補桜井同吉(64)亀岡天恩郷会計課長中村純也(51)等は五日取調べを完了、罪状明白となつたので王仁三郎を始め四名を不敬罪並に治安維持法違反として司法省へ起訴命令を稟請することに決しその手続を取つた
昭和11年3月10日 p11
大本教最高幹部
独房で縊死
【京都電話】京都中立売署独房に留置中の大本教最高幹部総務史実課長兼内事課次長白嶺事栗原七蔵(65)は九日夜九時頃独房内でハンケチを首に巻いて縊死を遂げてゐた、府検事局から小野大本教主任検事、京大法医学教室の小南博士急行検視を行つた、栗原は石川県生れで大正八年大本教に入信昨年十二月四日大検挙以来中立売署に留置されてゐたものである
邪教処断せまる
大審院検事局では棚町検事が主任となり既に送付を受けた大本教主出口王仁三郎(66)、統理補高木鉄男(62)、同東尾吉雄(49)、内事課長岩田久太郎(63)大本庶務課長兼昭和神聖会参謀井上留五郎(63)等最高首脳部の記録を慎重に検討、司法省刑事局大竹主任書記官との打合せも出来て去年五月には最後の審議を待つのみの状態となつてゐたが
不祥事件突発のためその渦中に処分を断行して世情を一層刺激するの結果となつてはとの焦りから
時局の平静に復するのを待つてゐたもので治安維持法違反並に不敬両条による起訴の司法処分、結社解散、主要建物取毀しの行政処分断行は今や時日の問題となつてる
昭和11年3月11日 p11
今明日中に起訴
大本教を処断
司法処分と結社禁止とは切り離す二段構へ
大本教第二次大検挙で昨年末以来取調を受けてゐた同教最高首脳部出口王仁三郎外七名に対する司法処分は既に稟議手続を済まし最後の検察首脳部会議を待つのみとなつてゐたが地元の京都地方検事局徳永検事正はこの会議に列すべく十日午後八時四十分京都駅発列車で重要書類を携へて上京した、司法省並に大審院検事局では同検事正の着京を待つて十一日午前早速会議を開き決定意見を纏めた上、林新法相に経過を説明、同日午後若くは十二日中に治安維持法違反並に不敬両罪による起訴決裁の段取となつてゐるが一方起訴と同時になされるものと予想されてゐた結社禁止並に主要建物収去の行政処分は従来の慣例(労農党解散等)と事案の性質からするも一応閣議にかけねばならず、かつ内務首脳部に大異動が行はれる関係上多少遅延は免れぬので、司法処分と行政処分とは二度に分割されるのやむなきに至つた
なほ結社禁止を命ぜられるものと予想されてゐる団体は皇道大本、昭和神聖会外五団体都合七団体を同時に綾部、亀岡の両本部を始め主なる別院分院の収去命令が各府県知事を通じて発せられることとなつた
昭和11年3月12日【夕刊】p2
愈々邪教を一刀両断
王仁三郎等八名を断乎起訴に一決
最後の最高検察会議開く
今夕命令を発せん
窮臘《きうろう》大検挙を見た第二次大本教事件の最高首脳部総統出口王仁三郎(66)以下八名に対する司法処分はこのほど取調べ一段落を告げ、最後の最高検察会議を待つのみとなつてゐたところ、これに参加するため十一日朝徳永京都地方検事正が上京、同九時半司法省に岩村刑事局長を訪れ、上京の挨拶を兼ね一応事件の経過を報告した後、大審院検事局で棚町検事と種々打合せを行ひ、十時半から検事総長室に光行検事総長、木村次長検事、棚町検事、徳永検事正の四氏集合協議を行つた結果、起訴に方針一決したので、午後林司法大臣に稟議を申請し、今夕刻には大臣の決裁を経て起訴命令が発せられるものと見られてゐる
不敬罪と治維法
尚起訴の罪名及び氏名は左の通りである
△治安維持法違反及び不敬罪 大本教総統 出口王仁三郎(66)
△治安維持法違反 総務部長 井上留五郎(63)
△治安維持法違反 総務 桜井同吉(64)
△治安維持法違反及び不敬罪 総務補 高木鉄男(63)
△治安維持法違反 同 東尾吉三郎(61)
△治安維持法違反 東部会計課長 中村純一(51)
△治安維持法違反 東部主事 岩田久太郎(63)
△治安維持法違反 人類愛善会編輯長 吉野光俊(54)
昭和11年3月12日 p11
結社禁止と取壊し
愈々あす命令
新法相慎重に出て
大本教起訴けふに持越す
大本教最高首脳部出口王仁三郎(66)以下八名に対する司法処分は既報の如く十一日午前徳永京都地方検事正を交へた大審院検察首脳部会議で起訴と方針一決したので同日午後三時同検事正は更に司法省に岩村刑事局長を訪ひ大竹主任書記官列席の上で最後の報告をなし更に五時から長島次官、岩村局長とともに司法大臣官邸に赴き林法相に対し取調経過並に犯罪内容を逐一説明した、法相は今迄全然この事件に白紙であつた関係もあり又事案の重大性にも鑑みて、証拠に基き親しく犯罪内容を検討した上で十二日午後二時から改めて徳永検事正の説明を求め決裁をするとの慎重な態度をとつたのでこの日は起訴方針はそのままとして命令を発するに至らず午後七時二十分散会した、また不逞不遜の皇道大本並にその傍系団体の行政処分を司法処分と同時に執行する方針を取つてゐた内務省は内相の更迭その他の関係からもし司法処分が先きになつても止むを得ぬとして見てゐたが、しかし何れにしてもかかる不敬団体の処分は可及的に早く決定した方が良いといふので潮《うしほ》内相は就任怱々にもかかはらず十一日午後六時半から内相官邸に唐沢警保局長、相川保安課長、永野事務官を招き大本教検挙から今日まで取調べの経過を聴取した上慎重協議の結果、明十三日の閣議に付議した上、愈即日皇道大本並その傍系団体に対し府県知事を通じて結社禁止並に主要建物の取壊しの命令を発する[こ]とになつた、しかして治安警察法第八条第二項により解散を命ぜられる団体は左記八団体である
△皇道大本△昭和神聖会△昭和坤生会△昭和青年会△更始会△大日本武道宣揚会△人類愛善会△明光社
又無願社寺禁制取締規則で建物の取壊しを命ぜられるものは綾部、亀岡両本部及び松江市の別院等で一般の分院、事務所等は閉鎖を命じ又神棚等を除去させるわけでもしこの命令に応ぜぬ場合は行政執行法第五条第一項によつて代執行を断行することになる
昭和11年3月13日 p11
邪教遂に地を払ふ
けふ午前十時半
大本教全く壊滅
司法行政の処分同時発令
豪華建築・一朝の夢
大本教最高首脳部出口王仁三郎以下八名に対する起訴命令並に皇道大本を始め傍系七団体に対する結社禁止及び主要建物の破却命令は愈十三日午前十時半頃同時に発せられることになつたのでここに信徒三十万を擁し敬神尊王、皇道宣布の擬装の下にその裏面において不敬の言動を敢てし恐るべき不逞不穏の陰謀を進めてゐた大本教は全く掃蕩壊滅することになつた、尚内務省では同日全国府県知事に対し電報を以て結社禁止の旨を通告すると共に警保局長の名を以て結社禁止の理由を発表することになつてゐる、又大本教の別院がある台湾、朝鮮、関東州でも各行政官庁が内地と同様の行政処分を執行することになつてゐる
土台石まで掘返す
両本部建物の処分
皇道大本を始め傍系の七団体に対し結社禁止並に主要建物破却処分を断行することに決定した内務省では十三日午前十時から開かれる定例閣議において潮《うしほ》内相から説明承認を求めた後同十時半頃内務大臣名を以て各団体本部所在地の京都、兵庫両府県知事及び警視総監に対し発せられる、解散を命ぜられる団体は一、皇道大本、一、昭和神聖会、一、昭和坤生会、一、昭和青年会、一、更始会、一、大日本武道宣揚会、一、人類愛善会、一、明光社の八団体であるがその結果各団体は今後事務所の閉鎖は勿論会合、文書発行等が出来なくなり全く団体が解消することになる、一方同日全国府県知事に対し大本教の本部別院等の建物処分に関する通牒を発するがこの処分は建物の構造によつて各府県が適宜に処分する方針で綾部、亀岡両本部及び東京、松江両別院等の主なる建物に対しては土台石まで掘り返させる意向である
普通家屋を別院支部等にしてゐるものは神棚、礼拝所などを取り壊させる程度に止める意向である、しかし建物の破却処分は先づ主管者側で自発的に取り壊す様説得しこれに応ぜぬ場合は無願社寺創立禁制規則その他で破却命令を発し更に代執行を行ふことにしてゐる
林法相の談
大本教最高幹部起訴に関し林法相の決裁も十三日午前十時半頃と見られ光行検事総長の名で王仁三郎等幹部八名の起訴命令が打電されるはずである、林司法大臣は語る
大本教検挙顛末について徳永検事正からよく事情を聞ゐたが、十二日夜は自宅で更に関係書類その他についてよく調べゆつくり考へた上十三日午前中に決裁するつもりである、十三日は午前十時から閣議があるので多分司法省には午前中は来られまいから刑事局長が秘書課長を呼んで決裁書類を渡すこととなるでせう、広田首相には司法処分を行つた後報告するつもりです
昭和11年3月14日【夕刊】p1
司法内務の大鉄槌
大本教殲滅さる
王仁三郎等八名を起訴し
断乎結社禁止を命ず
大本教に対する最後の鉄槌は遂に下つた、既報の如く十三日午前十時半を期し司法省では京都検事正に対し出口王仁三郎以下八名の起訴命令を発し一方内務省では内務大臣の名を以て『皇道大本』を始め八団体所在地の警視総監及び京都兵庫両府県知事に対し八団体の結社禁止命令を電話で発しそれと同時にその他の府県知事に対しても右結社禁止発令の旨を電報を以て通告した、また同省では即日各府県知事に対し大本教の建物処分に関する通牒を発したがその結果各府県では大本教の別院分院等に対し建物の取壊し又は改造を命ずることになりここに大本教関係の諸団体は地上から全く一掃されることとなつた
教義国体と相容れず
岩村刑事局長談
出口王仁三郎を中心とする大本教はその教義不敬に亙り我国体に反するものがあつた為に大正十年検挙致しましたが、当時は未だ治安維持法が無かつたので、刑法の不敬罪として起訴致しました処が、第一、二審共に有罪の判決があり、大審院に上告中大赦令が公布せられ、同人等も亦恩典に浴し昭和二年五月十七日免訴の判決を受くるに至つたのであります、然るにその後出口王仁三郎等は少しも改悛の情なく、表面皇道大本なる美名を掲げ其の実密かに不逞の意図を有し、先づ多数の信者、共鳴者を獲得し、然る後神意に仮託して其の意図を実現せんことを企て各種の外郭団体を組織し、各種の機関紙並に単行本を多数発行し、その勢漸く拡大せんとするに至つたので、昨昭和十年十二月八日以降出口王仁三郎外五十数名を検挙し、慎重取調を行つた結果、出口王仁三郎外幹部一名に対しては不敬並に治安維持法違反その他の幹部六名に対しては治安維持法違反の嫌疑あることが明白となつたので本日京都地方裁判所検事局に於て起訴予審を請求致しました、その余の被疑者は目下取調中で、近く処分決定の見込であります、出口王仁三郎等の抱懐する真の意図は単に不敬なるに止まらず、我国体と絶対に相容れないものでありますが、之を表面に現わすときは直に検挙せらるる虞があるので、同人等は表面を糊塗しその実極めて巧妙湾曲に我国の古典を曲解し、歴史上の事実を歪曲する説明をなしてゐたので所謂大本教信者及び外郭団体の団体員中には出口王仁三郎等の抱懐する不逞なる意図を知らず誤つて信者となり又は右の団体に加入した者が多い様に思はれるのであります
恐懼の至り
入信者の覚醒を望む
唐沢警保局長談
昭和聖代に斯かる不逞の徒を多数出したること、並に斯かる教団が巧に本体を隠蔽して存続して居りましたことは実に恐懼に堪へざる次第で、斯の如き団体の存在は一日も之を許容するを得ず、今日茲に断乎として結社禁止の厳命を下したのであります、尚又各種の布教的奉斎施設に対しても地方庁に於て建物の撤却其の他の措置につき夫々適当なる方法を講ずることになつて居るので、大本邪教の徹底的掃蕩潰滅を期するため当局は今後共あらゆる手段を盡す積りであります、一般信者団員中には之等の団体が真に恐るべきものであることを知らず、表面掲ぐる「皇道」なる美名に眩惑せられ不用意に入信参加したる寧ろ気の毒な人々が多いことと思ふので、之等の人々はこの際徐ろに反省し、当局の執りたる措置を理解し一日も早く邪教に対する迷妄より覚醒せられんことを切望して止まない次第であります
訓令
警視総監宛 内務省訓令第一三七号、その管下結社昭和神聖会は治安維持法第八条第二項の規定に依りこれを禁止すこの旨主幹者に伝達すべし右訓令す
京都府知事宛 内務省訓令第一三八号、其の管下左記結社は治安維持法第八条第二項により之を禁止す

皇道大本、人類愛善会、更始会、明光会、昭和青年会、昭和坤生会此の旨主幹者に伝達すべし
右訓令す
兵庫県知事宛 内務省訓令第一三九号、其の管下結社大日本武道宣揚会は治安警察法第二項に依り之を禁止す、この旨主幹者に伝達すべし
結社禁止団体
(一)皇道大本 一、創立明治二十五年旧一月元旦と称す、一、役員総統出口王仁三郎、教主出口澄、総統補出口日出麿
(二)更始会(大本の資金団体)一、創立大正十三年二月、一、役員総裁出口王仁三郎、会長出口日出麿
(三)人類愛善会(信者獲得別働団体)一、創立大正十四年六月、一、役員総裁出口王仁三郎、会長出口日出麿
(四)明光社(芸術団体、即ち芸術を通じて大本の宣伝をなすもの)一、創立昭和二年一月、一、役員総裁出口王仁三郎、社長大深浩三
(五)昭和青年会(大本運動の前衛部隊)一、創立昭和六年九月、一、役員総裁出口王仁三郎、総裁補出口日出麿、会長出口宇知麿
(六)昭和坤生会(大本運動の後方部隊、婦人団体)一、創立昭和七年十一月、一、役員総裁出口王仁三郎、会長出口澄
(七)大日本武道宣揚会 一、創立昭和七年八月、一、役員総裁出口王仁三郎、会長出口日出麿
(八)昭和神聖会(政治的行動団体)一、創立昭和九年七月、一、役員統管出口王仁三郎、副統管出口宇知麿、内田良平
昭和11年3月14日 p11
王仁三郎等七名
けふ愈々収容
中村純一だけは財産処分の決定まで強制留置
【京都電話】京都地方検事局では十三日は朝来異常な緊張振りを見せ
各係り検事は早朝から揃つて命令を待ち佗[侘]びて居る折柄午後零時十分過ぎ司法省に在る徳永検事正より小野主任検事宛『同日午前十時三十分司法大臣の起訴認可ありたり』との通達に接した、検事局ではあわただしい空気が漲り、間もなく午後二時過に至り大阪控訴院吉益検事長よりの『起訴命令』に接したので
鈴木(上席)小野他各係検事は堀部次席検事と協議を遂げた後王仁三郎以下八名に対して第一次の処分を断行正式に起訴同時に予審を請求した、次いで中村純一を除く王仁三郎等七名は西川予審判事の拘引状執行により身柄は同夜警察署預けとして今十四日中京刑務支所に収容されることになつた、中村純一は大本教会計課長の任に在り今後大本教の財産処分や被疑者への差入その他会計上の問題が残されて居るため拘引状は発せられず不拘束のまま起訴予審に回附されたもので、身柄は強制留置の形式で財産処分が決定するまで警察に預けられる
両代表を召喚
命令通達
きのふ警視庁から
内務省からの大本教解散の正式訓令が到達するや警視庁では直に昭和神聖会に対して四谷署を通じ責任者の出頭を命じたので同会からは経理主任松山隆一氏が代表として十三日午後三時出頭、直に庁内特高課長室で毛利課長が訓令を読み上げ正式結社禁止を申し渡したのち 一、只今から昭和神聖会は解消したわけだから会としての集合、行動は直に法に触れることになる、この点特に注意されたい 一、祭壇、建物等は追つて次の命令があるまで現状のままにして置くこと の注意を与へ、更にその場で訓令の受書を提出させた、この間二十分松山氏は蒼白な顔で「この命令を直に会の皆さんに通達してはいけませんか」とおどおどする、毛利課長は「今も申し渡した通り集合協議することは許されぬが個人の資格で通達したがよからう」と答へた、松山氏は語る 今命令を受けたばかりでどうしてよいか判りません、それに祭壇等はそのままにして置けとのことですから本部に帰つて次の命令を待ちます 直に同四時、杉並の紫雲郷別院の留守責任者大塚泰三氏が出頭、千速特高係長から『追つて通知するまで祭壇及び建物はそのままに保管する様』との注意を受け辞去した
信徒の動向に腐心
凡ゆる機会に邪教離脱に導く
内務省警保局の方針
大本教は解散命令の大鉄槌が下りここに全く潰滅に帰したが全国に散在する信者約三十万(うち帝都の信者約二万)は今後どうなる?何分「心の問題」であるため信者の宗教的動向は今後に残された難問題であるが、それだけに内務省警保局当局は慎重に考慮、首脳部の間で早くもこの三十万信者を先づ「どうする」といふ協議に入つた
当局では大本教の信者のほとんど総ては大本教が如何なるものであるかを全然知らずして信者となつたものであるから、邪教の本体が斯く暴露された以上信者の宗教的良心は極めて善導し易く、その全般的改宗は時の問題であると一面楽観的な態度をとつてゐるが
警保局当局が差当り信者の改宗に対してとるべき具体的方法は文部省当局並に全国各府県の社寺課、宗務課両当局と協力し
一、全国各地方において機会ある限り信者の幹部的人物を集め大本怪教義の真の意義を知らしめる
一、講演会等を利用して大本教首脳部が如何なることを計画しつつあつたか、国体変革を目論見如何なる不逞、不敬的言辞を弄し、行動しつつあつたかを知らしめる
といふのであり、当局としては更に全国各警察署特高課と密接な連絡をとり、常に信者の宗教的動向に注意し、彼等をして大本教から完全に離脱せしむるやうあらゆる努力を盡すことになつた
昭和11年3月15日【夕刊】p2
王仁さんスタコラ
カメラの襲撃に取り乱す
けふ刑務所へ転居
【京都電話】前日起訴され京都五条、中立売両署預けとなつてゐた出口王仁三郎以下六名は十四日中京区刑務支所に収容された王仁三郎はまづ午前八時過ぎ武内五条署長から収容の旨を伝へられると署長を始め係員に「色々お世話になりました」と丁寧に頭を下げた、午前九時半特高課高橋警部が拘引状と六結社解散命令とを携へて留置場に入り、王仁三郎に対して解散命令を伝達した、この時分から五条署の前は非常な混雑を呈し午前十時護送の自動車が用意せられ衆人注視の裡に重々しく開かれた留置場からノソリと出て来た王仁三郎は普段着のままで鉄無地紬黒無地羽二重の羽織を引掛け、フエルト草履を穿き胡麻塩九の丸刈頭に黒ベロアのソフトを冠つてゐた、血色の好い顔も流石に興奮して堅く口を結び、ヂロリと辺りを見廻してゐたが一斉に向けられたカメラの放列に急に狼狽の色を見せてコソコソと小走りにうつむき乍ら自動車の中に駆込み面をふせた、護送自動車は黒山のやうに群つた市民の好奇の視線を浴び乍ら京都地方検事局に送られた、かくて検事局三階の小野主任検事の室で午前十一時拘留訊問が済んで拘留状を執行され検事局の裏からこつそり刑務所に収容された
一方中立売署に留置中の東尾、高木、岩田、桜井、井上、吉野も護送され午後一時全部の送局を完了拘置訊問を終り順次拘引状を執行され検事局から中京区刑務支所へ悉く収容された
昭和11年3月15日 p7
出口宇知麿も起訴収容
出口澄は留置
【京都電話】十四日王仁等幹部七名を収容したが、更に同日朝京都府綾部町大本教明光閣に禁足中の二代目教祖出口澄を綾部署に検挙、同夕京都へ護送五条署に留置、また京都地方検事局では同日午後五時半司法省より神聖会副統監昭和会会長宇知麿こと出口伊佐男(34)に対する起訴命令に接したので同人を治安維持法違反で起訴し身柄は当分中立売署預けとし十六日に中京刑務支所へ収容のはづ
昭和11年3月19日【夕刊】p2
五月十五日までに両本部を取り壊せ
けふ王仁三郎が請書
【京都電話】結社禁止の大鉄槌を下されて潰滅し去つた不敬大本の亀岡天恩郷綾部総本部の建造物取壊し指令を内務省より受けた京都府では入洛した内務省永野事務官を交へ薄田警察部長、杭迫特高、永岡保安、豊原警務各課長等と十八日午前二時過まで協議を重ね十八日朝鈴木知事の決裁を経て午前十一時府令第二百十五号を以て
綾部大本総本部亀岡天恩郷、南桑田郡曽我部村宇穴太瑞象閣、相楽郡木津町城南別院、加佐郡新舞鶴町昭和分院の五ケ所は法令に基き昭和十一年五月十五日迄の期限を附し地上一物も留めぬ迄に破却を命ずることとなり
かくて同日午後一時半中京刑務所支所に収容中の王仁三郎に鈴木知事の名を以て破却命令書を伝達した王仁三郎は予てこの事あるを予期してゐたものの前回の検挙当時に比し余りにも峻厳なる当局の処分に一瞬色を失つたが慄へる手付で『破却命令相受候事正に相違無之候、出口王仁三郎』と請書《うけしよ》を認《したた》め茲に手続を完了した
昭和11年3月19日 p11
四月中旬から大本教取毀し
【京都電話】亀岡天恩郷、綾部総本部等大本教建築物の破却命令は中京刑務支所に収容中の王仁三郎および五条署留置中の出口澄に伝達されたが王仁三郎も自発的に取壊しを誓約し中立売署に留置中の会計課長中村純一に委任状を作成した、破却は当局監視の下に早くも四月中旬着手の筈
昭和11年4月15日【夕刊】p2
お筆先押収
大本教支部手入れ
豊島区池袋六ノ一、一九九皇道大本教池袋支部は十四日早朝池袋署特高係員総動員で同支部に至りお筆先、神鏡、支部の旗、団服数十着、烏帽子、装束、三宝その他教書等数十点を同署に押収した
尚同支部所属の昭和青年会板橋支部、昭和坤生会板橋支部、人類愛善会池袋支部等からもそれぞれ器具印刷物等を押収した、個人の布教所八ケ所に対して処断を行つたが警視庁では都下六十二支部に及ぼす筈
昭和11年4月22日 p11
改悛を誓ふ
王仁三郎等が神妙
【京都電話】京都地方検事局では二十一日までの間に総統出口王仁三郎(66)始め内事課長岩田久太郎(63)総理桜井周吉(64)教務部長井上留五郎(63)副統監出口宇知麿(34)総理高木鉄男(63)東洋部長出口五十麿(27)の六幹部その他二十三名を不敬罪又は治安維持法違反として起訴収容予審を請求したが王仁三郎は第一次大本事件で検挙された際は「……神霊現象……」と称して犯罪事実の総てを極力否認し通したのであつたが今回は真実誤つた思想を抱いて居た事に気付き翻然と覚り係検事の対して改悛を誓ひ出口宇知麿、同五十麿その他目下収容中の大幹部連はいづれも申合せたやうに検事に向ひ前非を悔い「日本国民としての本然の姿」に立返るべく固き決意を見せて居る
昭和11年5月1日 p11
【ニユース縮刷版】
【京都電話】大本教の綾部総本部と亀岡天恩郷の敷地が売られた、綾部の方は二万五千余坪を坪十四銭強で亀岡の方は二万四千坪を坪八銭で、それぞれ町で買とり登記も完了した、双方の豪壮な建物は廿日から清水組の手で取毀しにかかる
昭和11年5月17日【号外】p2
妖殿の取壊し
けふから開始さる
【京都電話】大本教亀岡の妖殿潰滅準備全く成り愈十七日午前七時を期し第一安生館をトツプに本格的取壊しが開始されたがこれ等は廿五日までに終了、解体と同時に直に域外に搬出するもので物凄い鉄槌の音は広袤《くわうぼう》たる天恩郷に谺《こだま》して凄壮の気が満ち満ちて居る
昭和11年5月19日【夕刊】p2
怪教の殿堂潰滅
【京都電話】綾部大本教総本部の建造物破棄の鉄槌は十八日遂に下された、綾部署では去る九日以来宝物什器の搬出金具類の取毀し、神棚書籍書類その他雑品焼却等の万般の準備は十六日を以て終り十八日朝京都から乗込んだ清水組破棄人夫百余名を指揮し木下綾部署長以下多数警官の厳重な警戒の裏に午後一時から愈破棄に着手し
五六七殿を始め至誠殿、教祖殿、黄金閣その他総本部閣内の建物は次から次へとここ数日間に取毀され、かくて明治二十五年正月教祖お直婆さんの神憑りによつて創められた怪教大本も立教四十五年にして遂に地を払つて潰滅するに至つた
昭和11年6月3日【夕刊】p2
邪教別院毀却
【横浜電話】横浜市中区根岸町滝ノ上に豪壮な社殿を誇る邪教大本教の黒門御殿関東別院は民事訴訟の結果破産管財人の手に帰し毀却の準備を進めてゐたが、愈二日から多数の人夫を雇ひ取壊し作業を開始した、十日迄に全部終了の見込で尚多数の押収物件は証拠品を除き横浜市営塵埃処理所で焼却した
昭和11年7月15日 p11
日出麿も起訴
【京都電話】大本教不敬事件糾明中の京都地方検事局では出口王仁三郎の婿養子で大本教総理兼総統補日出麿こと出口元男(40)を十四日午後一時半不敬罪並に治安維持法違反として起訴予審を請求、中京刑務支所へ収容したこれで同事件の起訴者五十二名に達した
昭和11年9月1日【夕刊】p2
邪教で送局
海軍予備将校二名
警視庁の邪教摘発の槍玉に上り今春来特高第二課の取調べを受けてゐた目黒区清水町四七二、インチキ宗教『神政龍神会』幹部海軍予備大佐三条比古之こと矢野祐太郎(48)同予備少佐加世田哲彦(52)の両名は調べが一段落付いたので近く『不敬罪』で送局されることとなつた、同人等は元皇道大本の信者であつたが同教が大正十年に当局の弾圧を受けた直後幹部と意見衝突兵庫県川辺郡中谷村肝川大本教肝川支部長車末吉(56)等と共に脱退して神政龍神会なるものを設立信者の獲得に狂奔してゐたものである
昭和11年8月15日 p11
大本教再建に躍る四十名を検挙
狂信・言語に絶す
皇道大本教は昨年末内務省警保局の指揮のもとに全国的大検挙が行はれ、出口王仁三郎以下幹部を全部起訴し、断乎として同教の解散を命じ邪教の根絶を期したが、東京地方は同教の狂信者多く、社会情勢の動揺に乗じ同教の再建を企て中には当局の弾圧下を潜つて”月並祭”まで励行してゐる狂信者があるので警視庁特高第二課では毛利課長総指揮のもとに、千速同係長、保坂主任警部、宮下警部、木下警部補以下総動員して去る七日以来第二次検挙を続行してゐるが、十四日までに検挙者四十名に上り、取調終了までには召喚者百名を超ゆる模様で信者の執拗な狂信振りに当局でも慄然
これ等の信者は大正十年の第一次検挙の際、大赦のため出口王仁三郎等が免訴となり、その後同教が復活した例をひき、二・二六事件以来の社会不安に乗じ同教再建の機を狙つてゐた、狂信者は何れも昨年末検挙の際に証拠品の提出にも応ぜず、教祖の筆先、出口王仁三郎の写真を隠匿し、中には天井裏に隠したり、家宅捜査を恐れ隣家に隠匿してゐる狂信者もあり更に甚しいのは大本教独特の儀式による自分の家の先祖を祀る”月並祭”を六月まで施行してゐた信者もあつた程でこれらの信者は『検挙は行はれても亀岡天恩郷等の建物の残つてゐる間は再興する』と信じてたものであつた
昭和11年11月19日 p13
大本と天津教をチヤンポン宗教
龍神会首脳近く送局
【既報】目黒区清水町に神政龍神会の看板を掲げ信者獲得に狂奔してゐた同町四七二予備海軍大佐矢野祐太郎(56)同町四七一予備海軍中佐加世田哲彦(40)の両名を大井署から近く不敬罪で送局する事となつた
同署の調によると矢野は欧洲大戦直前海外武官としてロンドンに駐在中「火星からの使」といふドラマを見て刺激され、更に大本教御筆先を見て宗教に興味を持ち任を終へて帰国、退官後の大正七年一家をあげて大本教の本拠京都府下綾部町に居を移し昭和四年迄十数年間熱心な信者として信仰生活を送つてゐた、その間出口王仁三郎が蒙古に神国建設を唱へた際軍事顧問の名目で王天海と名乗り馬賊三百数十名を従へ蒙古入国の直前張作霖の部下に妨げられて目的は達しなかつたがその際大本教の軍資金のイザコザから王仁三郎とはなれ、大阪の同教まさみち道場で一年間同教の教義をはじめ教団経営の秘訣を修得、更に茨城県磯原町天津教を加味した前記神政龍神会といふ新教を樹立し妻しん(51)を神がかりの巫女に仕立て上流階級に働きかけ多数名士の後援を得て兵庫県川辺郡中谷村下肝川に山林二町歩を買占め「地の高天ケ原」と称して本殿建築を計画、布教に奔走してゐたもので
教義内容は日本書紀、古事記等を曲説し「下肝川由来記」「雲の上より」等のパンフレツトに不敬文字を連ねてゐたもの
加世田は元天理教信者で大本教に転じ昭和八年矢野と知合ひ共鳴、昨年十二月退官したもので、本年三月の検挙以来取調べに八ケ月を要し大井署で身柄送局に先立つて一件書類並に証拠書類をトラツク三台に満載送局した
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作成:2009/3/27 0:24:08   更新:2015/6/20 0:59:00   閲覧数:7306
王仁三郎ドット・ジェイピー