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読売新聞

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読売新聞(昭和10年12月8日【号外】)
昭和10年12月8日【号外】p1
大本教再び邪教の本体暴露
不敬事件の確証あがり
断乎!内務省が弾圧の命
本部・支部を襲ひ二百余名検挙
最近社会不安の濃化に伴い邪教の跋扈いよいよ激しく良民を欺罔《きばう》すること甚だしいのでこれが取締の任にある内務司法両当局では過般来これが内偵を進めてゐたが、最近京都府綾部町に広大な本部を構へ信徒卅万を誇る皇道大本教に尊厳冒涜および重大な不敬事実の確証を握りここに断乎鉄槌を下すべく決意し、全国に向つて指令を発した、よつて京都警察部をはじめ同教の重なる支部所在地の警視庁、島根警察部当局は緊密な聯絡をとり、八日払暁を期して全国一斉に総検挙を断行、中心地京都におゐては、京都地方検事局指揮の下に薄田警察部長以下廿六署員四百余名を総動員して、府下綾部町の同教本部および亀岡町の天恩郷を襲ひ、居合せた副統監出口日出麿以下幹部廿余名を検挙するとともに、同教発行の書籍、書類等多数の証拠物を押収した、また帝都では東京地方検事局と警視庁が協力特高課千速第二係長が総指揮となつて警官七十名を動員、東京本部と昭和神聖会総本部および杉並区方南町三一二紫雲郷を襲撃して神聖会教主出口宇知麿以下幹部七名と凶器、証拠書類等を押収、更に島根県警察部では、松江市北堀町赤山大本教松江別院を襲ひ折柄松江別院で八、九両日に亙つて行はれる大祭に出席のため来合せてゐた教主出口王仁三郎、夫人澄子らを検挙するにゐたつた、かくて検挙のあらしは同教全本、支部に及び同教の幹部ら三百余名に及び大正十年不敬事件以来二回目の大検挙である
王仁三郎氏夫妻
松江で熟睡中検挙さる
警保局の永野氏出張
【松江電話】教主出口王仁三郎氏は七日午後一時昭和神聖会島根本部二周年記念式に参列のため妻女澄子と共に松江に来り同市赤山の同本部に落着ゐてゐた、これより先同教弾圧の肚を決めた内務省では警保局の永野事務官、児玉属を六日午後一時発列車で松江市に急行させ清水同県警察部長らと検挙の手筈をととのへさせた、かくて八日午前三時半松江、安来《やすぎ》両署員は工藤特高課長に指揮されて同本部を襲撃、熟睡中の王仁三郎と第二世教祖の妻女澄子を連行、同時に本部から多数の書類を押収した、このため同本部は大混乱に陥つたが王仁三郎は悠々として一旦松江署に伴はれたのち午前五時十七分同駅発列車で京都に護送された、澄子教祖は同課に留置されてゐる
大本教の本山へ
大混乱の綾部と亀岡
警官隊四百名で襲ふ
【京都電話】京都府警察部では七日夜薄田警察部長から府下廿六警察署の全署員の制服召集を極秘裡に命令し全市に警戒網を張る一方各署選抜の腕利き警官四百名で特別検索隊を組織し八日午前一時数十台の京都市バスに分乗薄田警察部長杭迫特高課長指揮の下に三隊に分れて丹波路を突進、中百五十名の一隊は丹波何鹿郡綾部町の大本教本部を襲ひ残りの一隊は皇道大本本部を他の一隊は亀岡町大本天恩郷を一斉に襲撃し居合せた教主出口王仁三郎の養子日出麿、三千麿、同妻八重子五十麿ら幹部卅余名を亀岡署に、幹部岩田久太郎及び栗原白嶺らは綾部署に検挙されたが折柄本山内には多数の信者がつめかけてをり隣の綾部、亀岡町は大混乱に陥つた、また京都府下本津、新舞鶴及び京都市丸太町知恵光院等の各支部も襲はれぞくぞく検挙されてゐる
出口王仁三郎一先づ留置
京都へ護送さる
【京都電話】問題の人大本教主出口王仁三郎氏は京都府警察部特高課高橋警部、同刑事課岡部警部、松江署松村警部ほか四名に護られ八日午前五時三分松江駅発列車で護送、同午後一時廿四分二条駅着、京都府警察部より指し廻しの京三二号に乗り五十余名の物々しい警戒で上京区中立売の警察部の送られた、氏は黒のトンビに茶色の帽子を被り長い白髪をのぞかせながら満面に懊悩の色を漂はし同一時卅分警察部保安室に一先づ留置された
日本製紙重役留置
【浦和電話】埼玉県特高課では警視庁特高課からの通報で八日午前六時半小林警部、伊藤警部補、浦和署山口巡査部長が浦和市常盤町四、四四七大本教王子支部長で王子所在の日本製紙株式会社重役米倉範二(60)氏を検挙浦和署に留置中で警視庁の指揮を待つてゐる
新潟でも二名
寝込みを検挙
【新潟電話】新潟県警察部特高課では八日午前五時半警保局からの逮捕命令により去る六日から山形県から来県新潟市上川前五番町小甚旅館に投宿中の京都府南桑田郡亀岡町昭和神聖会総務教務部長井上留五郎(69)大本教総務補国防部長神本太昭(42)の寝込みを襲つて検挙新潟署に留置取調中である
同郡下における大本教の組織は昨年出口王仁三郎氏が来県の際各地の信者を集めて「昭和神聖会」支部を設け新潟市を中心にその拡大を図つてゐたので前記小甚旅館は同支部の事務所となつてゐた
帝都の活動本拠
今暁二ケ所を襲ふ
を王仁三郎氏次男を検挙
疑惑の昭和神聖会本部
京都府警察部と相呼応して大本教の総検挙を断行した警視庁では八日午前四時半特高課第一、第二係並に関係各署の警官七十余名の非常召集を行ひ東京地方裁判所から両角予審判事外三判事、地方検事局から戸沢検事外三検事が出張、千速特高第二係長を総指揮に六班に分れて十数台の自動車に分乗折柄の暁をつゐて大本教の東京における総本部四谷区愛住町七六昭和神聖会本部並に杉並区方南町二ノ二紫雲郷別院等市内各所の大本教支部に乗りつけ千速係長の命令一下雪崩をうつて襲撃し神聖会本部に居合せた教主出口王仁三郎次男大本教副統監出口宇知麿、正宣伝使広瀬義邦、紫雲郷から正宣伝使土居靖都を検挙したのを始め小石川区原町一五一大宣伝使御田村竜吉、荏原区小山町一九七正宣伝使高川宅治、品川区上大崎二ノ五五九同木村貞次、淀橋区戸塚町三ノ三一九出口の秘書米倉嘉平の大本教幹部七名を検挙すると共に日本刀、短刀各一口、木刀五本、出口王仁三郎の御筆先「瑞祥新聞」「真如の光」「昭和神の国」等の大本教発行書籍、「皇軍と少女」と題する宣伝映画五十巻その他書類、会計帳簿等多数の証拠物件を押収トラツク一台に満載して引上げた、更に特高課志村警部の一隊は今暁の総検挙を免れた大本教の正宣伝使深町霊陽が七日夜から靖国神社に祈願のため御籠りに行つてゐるのを探知し八日早朝から靖国神社前に張り込んで午前十一時ごろ何も知らずに御籠りが済んで出て来た深町を検挙した、尚ほ警視庁では埼玉県警察部に手配して浦和市常盤通り四四四八正宣伝使米倉恭一郎を検挙これで警視庁に於ける検挙者は九名に及んだが一両日中に身柄を京都へ護送することとなつた
雪崩込む検挙隊
婦女子の悲鳴、大混乱
帝都における大本教の検挙は極秘裡に行はれ非常召集の警官にも理由を言はず「午前四時市内某所に集合」の指令を発しそこで初めて大本教検挙方針を授けたものであつた、検挙隊が各本支部に雪崩れ込んだ際まだ彼等は深い眠りにつゐてゐたので俄の手入れに狼狽して神聖会や紫雲郷の雇人婦女子などは悲鳴を挙げて右往左往し大混乱を呈したが大本教を妄信してゐる雇人等は出口宇知麿やその他の幹部が係官に引致されるのを見るや取りすがつて泣き叫び係官が神棚に祀つてあつた王仁三郎の御筆先等を押収せんとすると「それには御神体が祀つてあるのだからみだりに手を触れてはこまる、手を洗つてから取つてくれ」等と頑強に係官を手古摺らせ係官も課長から「さからつてはならぬ」と命ぜられてゐたので素直に手を洗つてから押収して来た程で検挙された米倉などは堂々たる織物商を営んでゐるが係官が王仁三郎の肖像らしいのを発見して押収しようとすると「それは天照大神だ」と称して容易に押収させなかつた
出口の出獄以来監視してゐた
相川保安課長語る
大本教総検挙を総指揮した内務省の相川保安課長は語る
出口らが恐るべき行動を開始したのは去る昭和二年六月出口の出獄後である、この間京都警察部の拡充もいはば大本教の本体をつきとめるためにあつたといつてもいいほどだ、今回その苦心がむくいられて司法部の最高方針が決定検察当局の活動を見たもので、京都府の警官一同は欣喜雀躍して検挙にあたつてくれた、国家のためにまことに喜ばしい次第である
大正十年検挙の総指揮
藤沼前総監談
大正十年の大本教一斉検挙の際京都府警察部長として検挙の総指揮にあたつた前警視総監藤沼庄平氏は第二次総検挙の報に荏原区小山町五〇〇の自邸で語る
「当時私は大本教に不敬な点があるので出口王仁三郎を召喚、三日三晩にわたつて調べたが出口は二日二晩といふもの口をきかなかつた、この時は厳重な警告を発しただけで結局釈放したのだつたが、その後出口らは一向あらためようともせず益す増す増長してゐるので、私はここに総検挙することに肚を決めて以来一年半にわたつて証拠固めに苦心した、そして司法省とも打合せをなし新聞記事の掲載を禁止したうへいよいよ大正十年二月十二日一斉検挙を断行、五月になつて漸く一段落となつたので新聞記事の禁止を解除した、出口は取調べ中私に向つて「藤沼さん、不敬罪ではないでせうね」と幾度も質問した、つまり出口自ら不敬であることを意識してゐたにちがひない、その後精神鑑定などをして大審院における最後の判決がのびのびになつてゐるうちに大正天皇の崩御のため彼らは大赦にあつた、それに拘らず今回又も不敬罪で検挙されたとは実に怪しからぬ非国民といはねばならない、かういふ種類の宗教がはびこつてゐることは文明日本の恥である」
信徒三十万
千六百の説教所
大本教全貌
皇道大本教とは鬼門金神国常立之尊を主神に教祖出口直子の御筆先を本体とする宗教的機構に皇道宣揚をカモフラージユして形成された一種の思想団体で、総統出口王仁三郎は自ら聖師と僭称して全国に一千六百余の説教所を設け卅余万の信者を集めて大正十年の第一回検挙以来表は平静を装ひ内部的に勢力拡張に努めてゐた、その発生地綾部町本宮には広大な総本部を置き神都と称してゐるほか神宗経綸の霊地の名の下に亀岡町明智光秀の旧城址二万余坪を買収、修行道場天恩郷を建設、茲に各種印刷工場等を建設、宣伝を行ふほか、東京市明治神宮外苑付近に対外宣伝本部を建設、広く欧米、満蒙方面に亙つて宣伝に努めてゐたものである、綾部町の所謂神都は大正十年の第一回検挙により山頂の教祖墓等破壊されたが、大本教ではこれを法難と称してゐるほか地上天国を象つて教宗殿、教祖殿、黄金閣、金竜海、弥勒殿等の広大な建物を連ねて全国信仰の対象となし大本機業と称する特殊絹織物工場、印刷工場等を有し地元町村では地方発展の基だと同教を歓迎した程の経営振りであつた
「人の道」へも弾圧!
布教所に廃止を厳命
前橋で幹部取調べ
【前橋電話】警視庁と連絡して県下の新興宗教団体の内容につき内偵を進めてゐた群馬県警察部では内容のいかがはしいものに関し断乎たる方針をとることに決し、七日前橋署を経て前橋市堀川町の「人の道教団」布教所の廃止を厳命同教団幹部の取調を開始した、同教団は昨年前橋市に支部を設けると共に先づ同市を中心とするインテリ上層階級に働きかけ群馬県庁を中心に主任属、技師等高等官連を入団せしめ更にその家族をも信者として漸次布教拡大して来たがその裏面の風紀を紊す点及び資金関係等に疑ひがかけられてゐるものである、なほ同布教所の幹部中には群馬県立女子師範学校教諭で寄宿舎監の篠原みやの女史、県立前橋高等女学校教諭上原潤平、■元同校教諭、県蚕業取締所総社支場の渡辺技手等のほか前橋市内の各中小学校教員等廿余名がをり、県下では三千余名の信徒を持つてゐる、布教所は前橋布教所のほかにそれぞれ信徒の名士宅に移動布教所を設け信徒は毎日早朝布教所または移動布教所に会合してゐた、前橋市内の信徒は五班に分れ八日前橋市内五ケ所でそれぞれ座談会を開催すべく準備中突如襲はれたものである
昭和10年12月8日【号外】p2
右翼団体と結んで国体変革の思想宣伝
別働隊昭和神聖会活躍
大本教は大正十年の大弾圧後教主王仁三郎が恩赦に浴してより再び勢力を挽回、着々と盲信者を小商人、財界に獲得して組織をひろげ東京に於ては文書宣伝、活動機関として大正十四年六月四谷区愛住町七六に先づ人類愛善会を創立、機関紙愛善新聞を発行し忽ちにして全国に多数の信者を獲得し中央舞台進出への足場をつくるに成功、続ゐて東京進出に全力をあげ昭和八年杉並区方南町三一二に昭和青年会(青年活動)及び昭和坤生会(婦人活動)を創立、同時に大本教の市内に於けるこれらの活動統帥機関として杉並区方南町に昭和八年一月廿六日皇道大本教紫雲郷別院を置き、別院総長に出口日出麿(京都検挙)次長に米倉嘉平が就任して教義の宣伝組織活動の采配を振ふにゐたつた、この結果東京に於けるこれら諸機関の支部百卅ケ所、信者約一万人に達しここに愈よ王仁三郎は大本教義に基く国家主義を表面に掲げて政治的活動を開始、これが政治活動の機関として昭和九年十月人類愛善会本部と同じ愛住町に昭和神聖会を設立した、そして王仁三郎自ら統監に就任、三男宇知麿を副統監に、政治的宣伝機関として東京毎夕新聞経営の実権を掌握した、以来政治活動に益す活発な進出をこころみ最近では右翼友誼団体と提携して国体明徴の実践運動にまで進むにゐたつたが、一面飽くまで市内の組織活動に力を注ぎ最近では「世の建てかへ建てなほしの秋到来せり」と暗に国体変革の時期になつたことを表明、宣伝してゐた
鈴木府知事談
大本教内部の不敬言動につゐてはこれを放置するにおゐては治安上憂慮すべきものあるを認めたので八日京都府警察部と京都地方検事局と打合せのうへ警視庁並に島根県警察部と協力関係箇所の家宅捜査をなすと同時に出口王仁三郎以下約卅名の関係者を検挙したものである
苦心内偵一ケ年
杭迫特高課長を派遣して極秘裡に確証を掴む
教主出口王仁三郎以下同教幹部らの最近の言動及び刊行物には不敬にわたるもの少からず識者をして眉をひそめさせてゐた、彼らはさきに大正十年五月京都におゐて不敬罪に問はれ第一世教祖王仁三郎は禁錮五年、浅野和三郎ほか一名もそれぞれ処刑されたが大正天皇崩御の大赦に浴して間もなく釈放された、彼らはこれを無罪と称し王仁三郎の妻女澄子を第二世教祖としてその後ますます跋扈、誇大な宣伝につとめ信徒の獲得と同教の拡大強化につとめ彼らはまるで王者の如き生活、振舞ひをしてゐたものであるが、最近に至つてまたも不敬な言動を繰返し夥しい出版物を刊行、我国体に反する非国民的所業にふけつてゐたことが発覚したので内務省警保局が中心となつて極秘裡に内偵を進め昨年十一月警視庁杭迫監察官を京都府特高課長に転ぜしめ大本教の内面調査にあたらせた結果、漸く不敬の事実あることをつきとめたので去る三月大阪控訴院吉益検事長、京都地方検事局徳永検事正が上京、内務省、警視庁との検挙の打合せを行ひ内務省唐沢警保局長、相川保安課長はじめ永野事務官、古賀属が専任準備にあたり決行前の漏洩を虞れて去る十月初旬からは世田谷区奥沢一ノ四六九の永野事務官の自宅を秘密本部にあてて京都、松江その他各地方検事局と連絡をとつてゐたものである、かくて五日に至り全く準備が整つたので八日未明を期し一斉検挙を断行することになり六日午後永野事務官は児玉属を同伴してひそかに京都に向ひ大検挙を見るにゐたつたものである
横浜の狼狽
【横浜電話】横浜市中区滝ノ上町の大本教関東別院では出口教主以下首脳部の大検挙の報に接し大狼狽し信徒代表二百名が参集対策を協議中であるが目下同別院には変りなく山手署で警戒中である
愕く北陸の信者
【金沢電話】北陸の大本教信者は約一千五百名に上り殊に石川県では侮り難い勢力を持ち能美郡御幸村地内大本北陸別院を有し農場を経営してゐるほか金沢市には北国夕刊新聞を発行、同教の宣伝に努めてゐる、分院は県下に二ケ所ある外金沢市に四ケ所小松大聖寺にはそれぞれ分所があり、相当根強く働きかけてゐただけに今回の一斉検挙は信者に非常なるシヨツクを与へてゐる、なほ北国夕刊副社長土居三郎氏ら幹部は八日朝急遽上洛した
教義の根本義への二点に亘る疑惑
不敬罪と出版法違反
今回の大本教幹部の総検挙の動機はかねて同教の布教の最高方針を決定するために所謂お筆先を中心に出口王仁三郎はじめ両副統監、大宣伝使ら少数幹部を以て組織する神庭会議なるものがあり同会議の決定事項につき注意をして約一年前から内偵を進めてゐた京都地方検事局では右会議決定事項内容が秘密パンフレツトを配つて全国各布教所首脳部に配布されてゐる事実、及び同パンフレツトの内容が社会機構を変革するが如き思想を包蔵し延ゐては改正出版法第廿六条の皇室の尊厳を冒涜するが如き内容を包蔵するものと認められることと右パンフレツトの内容に基く教義宣伝の方法手段が刑法第七十四条の不敬罪に相当することの確信を得たのによるもので従つて今回検挙の根本趣旨は前回の検挙とは違つて大本教の根本義に対する被疑内容をもつてゐるものだけに同教の運命を左右するものとして重大なる意義をもつものである、被疑適用条文は左の二点である
不敬罪 刑法第七十四条
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ処ス神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同ジ
出版法 第二十六条
皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書図画ヲ出版シタルトキハ著作者、発行者、印刷者ヲ二月以上二年以下ノ軽禁錮ニ処シ廿円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス
メス下る・前橋の『人の道』
妖しい!「陰陽の道」
信徒男女に忌はしい噂
【前橋電話】群馬県警察部の弾圧を受けた前橋市堀川の「人の道教団」は大阪にある本部の教理に従つて毎日早朝五時布教所に信徒を集めて陰陽の道を説き男女の混合を勧め、信徒には教祖の肖像を『おふりかへ』と称して頒布するほか時々礼拝の際朝食などを共にし、その際信徒の間にはその教旨に依り陰陽の道を説く関係上男女にいかがはしい風紀問題が起り、若い中等男女学生の信徒間にこれが甚だしいので県学務部当局もこの点を憂慮して秘かに対策を講じてゐたところであつた
『人の道』本部をも監視
大阪の大本教取締
【大阪電話】八日朝内務省警保局長よりの急電に接した大阪府警察部では大本教大阪別院天王寺区東高津北ノ町三三を中心に大阪方面の信徒約六千の動静を監視特に綾部、亀岡方面へ赴かんとする信徒を極力阻止してゐる、大阪府警察部特高課岡田思想犯第二係長は大本教本部の状況を視察のため京都に急行した、「人の道」その他大阪方面の類似宗教団は今のところさして動揺はなく府警察部としてもその成行を監視の程度である
信徒中には多数の若い男女教員
風紀上の噂に内容調査
群馬県学務部長語る
【前橋電話】群馬県学部長水谷秀雄氏は語る
前橋ひとのみち教団に中小学校教員が幹部として加つてをり信徒中には若い男女教員や男女中等学校生徒がをつて風紀上いかがはしい噂をまゐてゐるといふことを聞ゐてゐたので視学に命じて内容を調査せしめてゐたものである事実さういふことがあるとすれば何等かの処置を講じなければならない
変な説教
若い信徒の話
前橋市「人の道教団」の信徒である同市田町村田弥三九(25)君は語る
僕が「人の道教団」へ入つたのは今年の春からで学校の先生が多く朝五時に集まるのが例になつていました、説教は男と女の関係を説ゐてゐるものが多かつたが若い私達には変に思はれるところが多かつた、人間の病気は教祖がみんな引受け或は男女混合で病気が治るなどといふことを聞ゐてから僕は行くのをやめました
堂々たる前橋布教所
撤退を厳達された「人の道教団」前橋布教所は市内堀川町二〇の一割を占め門構へで黒板塀をめぐらした六百余坪の敷地に二階建本屋六棟の建物がある堂々たる邸宅で付近には久留万、城南両小学校及び桑原、神田、駒形の三病院その他があり布教所設置の規定に違反するので当局から許可されなかつたにも拘らず布教所を設け布教してゐた、現在の信徒中の最高幹部は前橋市田中町の松山得介氏で中小学校教員は准幹部となつてゐる
昭和10年12月9日 p7
伏魔殿・大本教へ解散命令
奇怪!神庭会議で恐るべき不穏計画
洋行を前に疾風的検挙
大本教大検挙の嵐は八日早暁の手入れで一段落を告げ検挙された教主出口王仁三郎以下幹部卅名の身柄は全部押収の証拠物件とともに京都地方検事局に集中して被疑内容につき取調べを進めることになつたが今回の検挙につゐて検察首脳部は同教が大正一[十]年の大弾圧のあと依然として類似宗教の名にかくれ、公称六十万(事実卅万)の信者を擁しつつ不敬不穏の言動をあることを探知し過去一ケ年にわたり慎重内偵を進むるうち最近にゐたり同教幹部の組織する秘密会議たる神庭会議の最高指導方針が表面たくみに皇室中心主義を称へながら秘かに皇室に対する重大なる不敬、国体に関する恐るべき不穏計画を企図しつつある事実をたしかめ得たうへ、更に外郭団体の活動と相まつてその布教の実際がやうやく積極的に非合法的活動を濃厚にし来つたのでいよいよ不敬罪、治安維持法違反(別項条文参照)の両罪被疑により検挙する最後方針を固め機をうかがふうち来る十六日教主出口王仁三郎がその主宰する人類愛善会宣伝のため海外旅行に出立することを探知するにゐたつたので当局はすかさず八日早暁を期して一斉検挙を決行したものである、この検察部の重大決意に内務省も呼応して断乎たる行政上の処分を強行する方針のもとに司法処分の決定をまちつつあるが、事態最悪の場合は治安警察法第八条後段(条文参照)に則り大本教に解散命令を発すべく最後の方針に出づるものとみられてゐる、今回の大検挙はその根本方針が根を断つて葉を枯らすことに決定してゐるので今後信者は[に]対しては一切検挙の手は染めないとのことである

関係条文
刑法七十四条
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ処ス神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同ジ
治安維持法第一条
国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
前項ノ未遂罪ハ之ノ罰ス
治安警察法第八条
安寧秩序ヲ保持スル為必要ナル場合ニ於テハ警察官ハ屋外ノ集会又ハ多衆ノ運動若ハ群集ヲ制限、禁止若ハ解散シ又ハ屋内ノ集会ヲ解散スルコトヲ得
結社ニシテ前項ニ該当スルトキハ内務大臣ハ之ヲ禁止スルコトヲ得此ノ場合ニ於テ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスル者ハ行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得
某名流婦人らの恋文
綾部の秘庫から続々現る
乱脈ぶりに当局も唖然
洛北綾部に永年豪華を誇る大本教の大殿堂にまつはる怪奇な噂は今回の大摘発に逢つてやうやく伏魔殿の正体を暴露しようとしてゐるがこの正体を掴むために杭迫京都府警察部特高課長が職を賭して覆面の手兵三人を信者に仕立てて同教の本部奥深く潜入させ内部情勢は刻々手にとる如く内務省に達してゐた、さうとは知らぬ王仁三郎が
「皇道の大本はわが王仁の教義にのみ存す」
と綾部に画ゐた不逞の夢を現実に彼は何時も白馬に跨つて信者大会に乗り出してゐた
また自動車で外出する際はオートバイの護衛をつけ信者が道に拝跪する中を悠然と疾駆するなどの思ひ上つた行動をとつてゐた、かうした常軌を逸した言辞もその私生活の全貌を窺知することの出来ない群盲信者にとつてはただただ随喜渇仰の涙のタネであつた
しかも今回の検挙にあたつて内務省に達した情報によれば各所の家宅捜索によつて同教の秘庫に珍蔵せられてゐたものがなんといかがはしい情痴の世界の書画類または幹部連に寄せられた恋文の束であつたなどさすがの当局を唖然たらしめた、殊に王仁三郎の身辺には常に十数人のよりすぐつた美女が「近侍」と称して侍つてをり、今回の捜索にあたつても、その私室から数十通の恋文が発見され、その中には某名流婦人の信仰に名を藉りて教主に寄せた切々たる恋情、さては世に有名な妾某女からの孤閨《こけい》を怨じて来たものなどがあり、その裏面生活が想像以上であること思はせた
王仁三郎は今回松江におゐて検挙された際なども旅先まで三名の「近侍」を同行してをり、そのうち一名の同行を哀願してつひに京都府警察部まで帯同を許されて最後まで愛欲図を見せてゐたといふ
「人の道」横浜支部をも調査
【横浜電話】神奈川県特高課でも中込警部指導の下に天雨、伊賀川警部補等右翼思想係は数日前から横浜市中区福富町に本拠を置き信者一千名に陰陽道を説く扶桑派人の道教団横浜支部内に潜入し幹部等の行動を内偵監視を続けてゐる
断乎邪教取締り
内務省の積極策決まる
大本教に断乎鉄槌を下した内務省ではこれを機会に最近社会人心の不安に乗じて簇生《そうせい》し善良な風俗を紊乱多大の害毒を流してゐる諸種の邪教取締にいよいよ積極的に乗出すことになつた
すなはちいかがはしい教義と言動のためしばしば問題を惹き起しがちないはゆる類似宗教団体は年毎に増加してゆき信者数もこれに応じて飛躍的に増加する傾向があるのに対し従来この直接取締の任に当る同省警保局保安課には専門の係官がない有様であつたので、まづ同課に専任の宗教係を置き、全国警察部と緊密な連絡をとつて宗教界の動静を視察し治安風紀を紊す虞れがある団体には容赦なき弾圧を下す一方宗教界の監督官庁たる文部省宗教局と近くこの問題につき合同協議会を開催、いま内閣調査局内の教学刷新委員会で審議中である文部省関係宗教団体法案の付則類似宗教取締法案につき意見の交換を行つて
来議会における同法案の通過を計り従来無届けのまま許されてゐた宗教団体を一切許可主義とし邪教の殲滅を期する方針である
一年間法律的検討
大検挙への陣固め
今回の大本教大検挙に至る経緯は大正十年の弾圧の嵐を浴びた同教が大正十四年人類愛善会の設立によつて、広く世人に呼び掛けると同時に、同教と趣旨を同じうする中華民国の「世界紅卍字会」ドイツの「白色旗団」ブルガリア「白色連盟」などの世界各国の団体と相提携して活発な運動を続けてゐるうち満州事変を契機として果然国家主義の傾向の増大と共に一月には皇道大本教紫雲郷別院を東京に創立
次いで昭和青年会(青年活動)及び昭和坤生会(婦人活動)を新に設立し次第に実行運動に踏み出し遂に之ら同教の外郭団体の首脳機関としての昭和神聖会を昭和九年七月に創立するに至つた
この頃より疑惑の眼をもつて同教の内偵を続けてゐた当局では秘密首脳部会合「神庭会議」の内容探査に必死の努力をつづけるうち
たまたま昭和十年春、国体変革の思想宣伝並に実践の陰謀のもとに「国家革正請願運動」を開始したので当局の態度は検挙の一歩前まで進んで来た
併しこの運動は右翼友誼団体など後援を得ることが出来ずうやむやの中に消滅し実践運動は後退したこの間司法、内務両省ではいよいよ検挙の方針を固め約一ケ年にわたり司法省に於ては刑事局大竹書記官(思想部主任)内務省におゐては警保局永野事務官が専門的に同教関係の大部分の刊行物を読破して同教義の根本思想に対して法律的検討を続けたが一方京都府警察部におゐて「神庭会議」の組織内容を探知し得、これに法律的見地からの大竹書記官、永野事務官の検討結果もまた有罪の結論に達したので不敬罪、治安維持法違反の両被疑罪名の下に検挙するの大方針が確定して疾風迅雷的な大検挙となつたものである
留置場に静坐する教主王仁三郎
【京都電話】八日午後二時京都府■北隣りの中立売署に連行された出口王仁三郎はそのままは一応の取調べもなく留置場内保護室に収容され薄暗い二畳に満たぬ小房内に端然静坐した、静かに瞑目して眠るともなく寝を取つて居るかに見える、黒無地お召に紬の下着を重ねた教主無言の姿は哀愁の極みだ、信者の殺到をおそれた署員の厳戒にもかかはらず訊ねる人もなく七時ごろ四十がらみの商人風の信者がソツと同署の門をくぐつて毛布と夕飯の差入れを係官に懇請したのがその最初の人、同署では常に懐中に金銭を持たぬ習慣の王仁三郎のため特にこの差入れ願ひを聞き届けたが、さすがに人の情けが身に沁みてか、王仁三郎は「すみません」と低い声で係官に礼を述べたといふ
この日検挙された中心人物卅名は夜半までに中立売のほか堀川、西陣、松原などの各署に留置されたが大本青年信者の一団亀岡町昭和青年団では教主長老等の一大事とばかり白羽二重の布団、毛布、丹前、タオル等の差入品をトラツクに満載、亀岡署員付添の下に京都に来り八日午後九時中立売署を始め各署を歴訪し差入れをなした
昭和10年12月10日【夕刊】p1
出口王仁三郎
室伏高信
[注  室伏高信(むろぶせ・こうしん)1892〜1970
読売新聞記者、評論家。

この記事は著作権保護内なので掲載せず。]
昭和10年12月10日【夕刊】p2
白日に曝出された驚くべき不敬の数々
大本教総本山、天恩郷は取毀し
邪教大本教に対して当局が断乎大弾圧を決意した不敬罪に該当する点は教主王仁三郎の言動をはじめ秘密宣伝文書等に掲載されてゐるなど無数にあるが、当局今回の内偵並びに検挙押収によつて白日下に暴露された教主王仁三郎をめぐる恐るべき不敬動向の主なるものは次の通りである
一、王仁三郎は大本教によつて日本が統治され、皇道の大本は自己にあり、従つて日本の統治者たることを自認してゐる
二、不敬にも自ら『尋仁』と僭称し、さらに『聖顔』『玉座』の言辞を用ひ、また『特選出口王仁三郎大元帥』と宣言してゐる
三、信徒の査閲に対しては自ら白馬に跨つて大元帥と称し、妻の出口澄子を参謀長として儀式の際は『国の鎮め』に倣つて『瑞垣の歌』を吹奏させ、また行列には前駆後駆を付し、宿泊の際は近侍を侍らせて警備隊を常置する
四、綾部が高天ケ原であつて近き将来日本の首都になる
なほ内務省では綾部の大本教総本部並びに亀岡天恩郷その他の建物は証拠物件として断乎閉鎖せしめるとともに司法処分の取調べ結果によつて断然棄毀を命ずることに決してゐる
精神異状と認めず
巧妙な大山師
教主に検察当局の見解
大本教の大検挙に当つてその「憑霊作用」問題が第一次検挙の際の上告審におゐて精神異状と見做すべきや否や、大赦の恩典によつて未解決のままとなつてゐるので検察首脳部ではこの点極めて慎重な研究を遂げたのであつた、すなはち京都警察部では大本教から発行される教義その他各種出版物につき巧妙にカムフラージユされた不敬思想の存在を見出すべく苦心を重ね、京都地方検事局思想部でもそれらの証拠物を蒐めてその系統立つた立証に努力したものであつた、その結果検察当局におゐては教主出口王仁三郎に対して精神異状者にあらずして巧妙なる大山師なりとするに意見の一致を見たものであつた、仮りに出口に憑霊作用があつたとしてもいそれは神がかり状態に入つたその瞬間だけのことであつて数十万の教徒を統率し、行政手腕を振つてゐるその行動を見る場合完全に常人の意識を持つものなることは疑ふ余地なく当然刑事上の責任を問ふべきであるとしてゐる、また一歩譲つて仮りに同人が精神異状者なりとして出口個人の刑責問題の如何に拘らずかくの如き不敬教団は断じてそのままに放置すべきにあらず
憑霊問題とは別個に今回の検挙は極めて至当の処置なりと認めてゐる、さらに出口が然らばその他に「何を目的とし、何を企図したか」の具体的問題は目下のところ尚ほ当局にも判然と掴み得てゐないが、この点は八日の一斉家宅捜査によつて得た多数の証拠物を京都地方検事局思想部におゐて検討し且つ事実の取調べと相まつて明かにする筈で、その結果単なる宗教団体以外の目的意図が明かにされる場合は不敬罪、尊厳冒涜(出版法並に新聞紙法)以外に治安維持法を適用すべしとの強硬なる意見を持してゐる
証拠品押収
【亀岡電話】天恩郷大検索は八日徹夜で続行、天声舎のみを残して十五棟の厳重な家宅捜査をほぼ終了、押収品は天恩郷の事務所瑞生閣に堆高く積まれてゐるがこれらの中には
日本刀、ピストルなどのほか王仁三郎が百廿巻を発刊すると意気込んですでに七十五巻まで出版してゐる霊界物語の残部六、七百冊をはじめ王仁文庫教書その他パンフレツト等夥だしい印刷物、十六ミリ、九ミリのフイルム多数エロ本などがありまた大金庫から債券多額を発見、珍らしい各種小判なども出たがこれらは押収されてゐない、九日は早朝から天恩郷の文書宣伝機関の心臓である天声舎の検索を行つたが神ノ国、昭和青年、神聖、明光、真如光の五月刊誌、人類愛善新聞をはじめ謂ゆる皇道宣明運動に要する文書は悉くここで製作されてゐるだけに四百四十坪の広大な建坪に和、欧文の活字鋳造機から印刷、製本までの一切の機構完備してをりその大掛かりなのには捜索隊もい一驚したほどである
なほ大体の捜査は九日中に一応終るので押収品は目下亀岡署に留置中の幹部約廿名の身柄とともに一両日中に京都に送られる筈である
八名を護送
八日早朝警視庁特高課に検挙された
教主王仁三郎次男昭和神聖会副統監出口宇知麿、小石川区原町一五一大宣伝使三級御田村竜吉、荏原区小山町一九七正宣伝使従二級高川邸次、四谷愛住町七六昭和神聖会本部正宣伝使十級予備陸軍工兵少尉広瀬義邦、同品川区上大崎二ノ五九正宣伝使十級木村貞次、杉並区方南町三一二紫雲郷正宣伝使八級土居靖都、淀橋区戸塚三ノ三一九皇道大本教総本部秘書米倉嘉兵衛、深町霊陽
の八名は九日朝上京した京都府警察部の片岡警部補以下十二名の警官に厳重[に]護られ多数の押収物件、書類とともに午後一時半東京駅発「桜」で京都へ護送された
徹底的に処分
内務省の方針
後藤内相は九日朝官邸に相川保安課長を招致して大本教検挙事件につき種々報告を聴取するとともに応急的警察処分のほか更に今後内務当局として同教に対する処分方策につき協議を重ねた結果
一、検挙範囲は幹部中枢分子に限定しこれに対しては徹底的検挙を行ふとともに地方無知乃至善意の信者大衆に対しては啓蒙と自覚に俟つこととし不穏な行動に出ない限り検挙しないこと
二、大本教本部其の他の建造物、諸施設の処分に就ゐては事件の司法処分進捗と併行して行ふ
三、教義内容の不敬につゐては適当の方法に依つて之を暴露批判して妄信者の蒙を啓くこと
等の根本方針を決した
昭和10年12月10日 p3
【社説】淫祠邪教の掃蕩を期せ
 大本教の検挙は疾風迅雷的に行はれて、多大のセンセイションを与へたが、われ等は此の機会に於て、昨今特に蔓延流行の兆あるいかがはしき類似宗教に対し、徹底的の掃蕩を敢て試みられんことを切に希望するものである。
 今回検挙の衝に当つた検察当局の言によれば、教義宣布の裏には国体の変革を企図するごとき不逞の態度が蔵せられてゐたのみか、皇室の尊厳を冒涜する如き不穏極まる言動も行はれてゐたといふことである、仮令それが彼等一流の無知と狂言から出発せるものであつたにせよ、その逸軌的言動は断じて許さるべきものではないのである。
 淫祠邪教の跋扈跳梁は、近年特に甚しいものがある、世相不安、思想動揺の反映と称せらるべきものかも知れないが、併し文明に逆行して寧ろ反動的に勃興しつつあるこれ等不可思議なる勢力の台頭は注目すべきものであらう、而してこれ等諸団体の教義なるものが悉く非科学的であり没常識的であつて、人智を絶するところの「お筆先」によつて具現される荒唐無稽のものであることは、無垢純情の民心を蝕むものとして排除しなければならない。
 疾病と災厄とは、人間社会の存する限り滅絶するものではないが邪教流布者にとつてはこれが唯一の財産であり且つ又手品の種ともなつてゐるのである、一片の加持祈祷により、或ひは怪しげなる行法によつて病難も災厄も退散せしめ得るものではないのだが、いはゆる溺るるもの藁をも掴むの人間の弱点を巧に利用し、愚夫愚婦の類を惑はすことによつて単純なる成功を収めてゐるのである、冷静なる態度を以て見れば、まことに噴飯に堪へぬやうなことでも、病者弱者には尤もらしく思はれるのである。
 今回大本教検挙の動機となつたものに、右翼団体との結合を図らうとしたとか云はれてゐるが、これは当然ありさうに考へられるのである、何となれば非科学的であり飛躍的である点に於て両者全く根基を一にして居り、観念的の国家改造とか社会変革とかいふ思惟に於て接近甚だ可能に思はれるからである、而してまた昨今のわが国の世相は、その併進すらも容易に考へられるのである。
 日本精神の強調はまことに結構であり、正常なる意味に於て愈よ益すこれが力説を必要とするものであるが、併し単なる反動的言説か或ひは抽象的の標語として掲げられる時、来雑物介入の危険なしとしない、即ち類似宗教をを以て目されるものが、教義流布の手段として利用するとなどは正にそのよき例証であらう、国家とか皇道とかの美名に隠れて、より効果的に邪教の宣布、勢力の拡張を行ひつつあることはわれ等の日常目賭するところである。
 インチキ宗教なるものの蔓延を見つつあるも、畢竟するにこれを取締る統一的の法規に於て欠くるところがあるからである、手近かな例を以てすれば、直接民人教化の任に当る宗教教師の資格問題すら、未だに確たる限界が出来ていないのである、政府は宗教団体法案の立案を急いでゐるさうだが、昨今の世相に鑑みてこれが実施は最も急を要するものと思はれるのである。
昭和10年12月10日 p7
治維法も適用
邪教根絶へ
更に大々的家宅捜査
【京都電話】大本教検索隊本部では内務省の最高方針に基き刑法第七十四条「皇室に対する罪」を適用し厳重処罰することになつたが更に同教を邪教と断定しその根絶を期して敢然治安維持法を発動、大本教の解散、禁止断行のため新たなる傍証固めを行ふこととなつた
即ち九日夜半に至るまで綾部町の同教本部及び亀岡天恩郷の家宅捜査を行ひ不敬事実の証拠品たる書類、教書、武器など多数押収更に予定を変更し十三日まで四日間大々的家宅捜索を行ふこととなり王仁三郎等に対する尋問は数日遅延を見ることとなつた
今回は去る大正十年二月の不敬事件における如く単に同教一部首脳部の処罰のみでは済まされず是非とも斯る邪教を根本から払拭する必要が生じたのでこの際治安維持法を適用し大本教精神の下に結集せる大本教昭和神聖会、人類愛善会、昭和青年会、昭和坤生会、武道宣揚会、エスペラント語普及会等各団体の解散命令を発することなつたものである、右につき薄田京都府警察部長は語る
家宅捜索の結果王仁三郎の不遜極まる行動は内容が明かとなりましたが日本人ならば誰でも憤慨せずには居られない程です、当局の大本教弾圧方針は不敬事実を主眼としてゐたものですが今後此方針のみを建前とするかどうか断言出来なくなりました
昭和10年12月11日 p7
不敬罪で正式起訴
司法当局の”断”決る
大本教清掃 治安法適用は慎重
大本教の大弾圧後司法部としては該問題の処分につゐては慎重を期して居るが十日午後三時より司法部長官会同で上京中の吉益大阪検事長は大臣官舎に小原法相を訪ねて長島次官、光行検事総長、金山東京検事長、岩村刑事局長らを加へて午後五時まで重大なる協議を為し大本教の専恣横暴極り無き状態につゐて吉益検事長より詳細なる報告あり、司法部としての今後の対策等につき万遺策無きを期することとなり、まづ第一に大本教主出口王仁三郎氏を不敬罪をもつて近く正式起訴し、ついで他の被疑者をも容赦無く断乎たる処分を為すことに決定した
今回は前回の如き微温的のものでなく邪教一掃を目的として国民の思想を幻惑せしむる如き言動をなす大本教を根本的に弾圧して将来に禍根を残さぬ方針であるが、既に大検索の結果夥しき不穏文書や皇室の尊厳を冒す文書を押収してゐるのでこの証拠材料を基礎として続々事件の真相を摘発する筈である
なほ一部に唱へられた治安維持法の適用につゐては部内に相当異論があるので慎重に研究することとなつた
昭和10年12月13日 p7
大本教検索さらに深部へ
王侯凌ぐ豪奢夢殿
妖楽飽なき生活
寝込に”御用”顛倒した”生神様”
出口王仁三郎検挙秘聞
邪教大本教の抜本的退治に全力を注いでゐる内務省警保局では一とまづ中間報告を聴取するために京都に出張中の永野同局事務官並に児玉属を十二日朝秘かに京都から帰京せしめ警保局長官舎におゐて唐沢局長、相川保安課長は極秘の裡に詳細聴取したが、何分にも押収した証拠物件がトラツク廿余台に余る程で、京都検事局並に同警察部では大車輪で押収品を整理しつつあり当局の期待する罪状が明確になるのは今後にあるので証拠物件の徹底的整理取調べを督励するため永野事務官を再び則夜京都に赴かしめた、使命を果して同夜西大久保の自宅に落ちつゐた児玉属は検挙当時の模様並に実地検証の結果につきまだ生々しい当時の場面を想起しつつ左の如く語つた
皇道本部松江別院に王仁三郎検挙の重責を帯びて東京を発つたのは五日夜で六日には島根県警察部と万般の打合せを終り八日午前四時を期して清水谷警察部長の率ゐる八十五名の警官をもつて編成された特別部隊と共に永野事務官と私とが王仁三郎の寝込を襲つた 王仁三郎は奥院に一人で寝て居りその隣の部屋には細君のお澄婆さん更に別室には近侍と自称させてゐる妙齢の美女が六人一緒に寝てゐた、先づ目ざす王仁三郎の寝てゐる部屋に工藤特高課長が単身飛込んで行き高いびきで寝てゐる王仁三郎を静かに起して「出口さん京都から御迎ひに来たから用意して下さい」と云ふとびつくりした様子で蒲団の上に起上るところを、どかどかと警官がふみ込み王仁三郎のぐるりを包囲した、何しろ前日王仁が松江に着ゐた時にはわざわざ松江署長が出迎へたほどなので、それこそほんとの寝耳に水の驚きやう、王仁三郎はすぐ足袋を穿かうとするのだが手が■へてゐて足袋のコハゼがどうしてもかからない、警官の包囲にどぎもを抜かれた彼は「逃げはしませんからどうぞ手荒な事だけはしないで下さい」と怯えた泣き声で嘆願してゐる
すつかり面喰つたお澄婆さんや女等はあわてふためゐてなすところを知らない有様で漸く警官が「教主は着物を着ることが出来なくて困つてゐるから早く手助けして身の廻りの用意をしてくれ」と穏やかに云ふと、王仁は漸く正気づゐて「何も悪いことをしたのでないから行けば判る」と女等を制止した、かうして大変な騒ぎで女総がかりで着物を着るのだが着物がきちんと着られなくて教主の姿は甚だしく滑稽に見えた、私は京都綾部本部も天恩郷も詳細に検証したが王仁は自分を絶対尊厳なものとするため外部の者の立入ることを許さぬ私室の調度類には驚くべき不敬なものが沢山あつた、例へば恐懼に堪へない次第であるが湯呑茶碗の内部に自分を歌はせた「君ケ代」になぞらえた歌を浮彫りさせてゐたり○○に類似する文書等誠に畏れ多い極みでお話申上げる訳にはゆかない様な未曾有の歴史的不敬の数々が証拠物件としてあげられてゐる
殊に王仁が常住する天恩郷の応接間など私はあんな華美なものを見たことがない、建具には巧緻な彫刻、襖は絹張り、一寸した硯箱なども時価何百円といふ高価なもの、しかも各殿堂毎に王仁の寝室があり、そこには常に寝床が敷つ放しにしてあつて、いつでも王仁の邪欲をみたせるといふ仕組、殊に天恩郷のお澄と会する部屋には王仁とお澄婆さんの全裸等身大の写真が飾つてあり、これなどはどういふつもりか常識ではまつたく判断がつかない
かうした部屋はもちろん、お澄婆さんの居間からまで怪しげな道具や何百円もする絵草紙類がふんだんに発見されて正視にたへぬものがあつた、近侍と称する女達はあらゆる階級からの入信者を網羅してその数は二、三十名、いづれも王仁を神聖化するやう教育されてゐるので王仁の衣服にふれてさへ光栄なのだから況んや人身御供など無上の光栄として、ほかに仕事がなく全く王仁の獣欲の対象として生活してゐたもので踏みこんだ吾々も只唖然としてしまつた
三千麿留置
【京都電話】満鮮地方伝道行脚中の帰途関門で山口県警察部の手に逮捕された大本教大阪分院長出口三千麿(37)は途中姫路まで迎へに来た警保局古賀属をはじめ京都府特高課田中警部補、川辺部長等に護られて十二日午後八時四十分京都駅着列車で護送直ちに七条署に留置された
昭和10年12月15日 p7
大本教行動隊
不穏計画中を検挙
【浜松電話】京都府警察部塩貝警部は静岡県特高課梶警部、村田部長以下十数名と共に十四日未明来浜、浜松署と協力大本教行動前衛隊と目せられる浜松市元目町大日本武道宣揚会浜松支部長鉄工業武田仙蔵(30)方外一ケ所を襲ひ武田及び徳島県生れ霊界の大家石田覚(30)静岡県磐田郡袋井町支部長竹原弘(28)他二名を検挙したうへ家宅捜索を行ひ証拠物件多数を押収五名の身柄を一旦浜松署に留置の後同日午後四時五十八分浜松駅発列車で京都へ護送した
一方この日早朝京都川端署特高係長飯田警部補は見付署の応援を求め磐田郡中泉町石原大本教昭和青年会中泉支部元旗手及び前記袋井町竹原方を襲つたが何れも高飛した後で家宅捜索して引揚げた、大日本武道宣揚会は常に急進的な意見を持つ大本教内の行動前衛隊で昭和五年春兵庫県朝来郡竹田町愛善郷に総本部を設けて出口を総裁に、気合術大家植芝宇高を会長に推し、道場を皇武館と称して顧問に荒木大将をはじめ軍部その他名士多数を祭りあげ浜松支部は植芝会長を講師として招聘会員に護身術を教へ、一朝事あるときは暴動鎮圧の任に当ることをスローガンとしてゐたもので、今回王仁検挙に際し急進分子が不穏計画を計画中未然に検挙されたものである
プリンタ用画面
作成:2009/3/27 0:24:43   更新:2015/6/20 0:59:34   閲覧数:5645
王仁三郎ドット・ジェイピー