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東京日日新聞(1)

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東京日日新聞(昭和10年12月8日【号外】)
昭和10年12月8日【号外】p1
全国に大本教検挙の大旋風
内務省が総指揮しけふ払暁を期し雪崩込む
一年間に亘り慎重に内偵
検挙されし者数百
大本教の大検挙は朝刊(または号外)既報の如く、八日払暁午前五時を期し全国一斉に行はれた、検挙の中心京都におゐては京都地方検事局並に府警察部が京都市内の精鋭三百余名の非常召集を行ひ、大本教の大本山─綾部町の皇道大本教本部並に亀岡町大本天恩郷を襲ひたちどころに数百名を検挙、大本教の中心人物教主出口王仁三郎氏は松江市で検挙された、一方大検挙の総指揮に当つた内務省警保局では唐沢警保局長、相川保安課長以下徹宵《てつせう》で全国に検挙の指揮をなし、東京地方検事局並に警視庁でも殆んど係官総動員にて精鋭警官百名の非常召集を行ひ四谷区愛住町七六昭和神聖会総本部をはじめ市内数ケ所の関係支部を襲つて一斉検挙を行つた、この大検挙は昭和八年以来厳秘裡に内偵を進め準備をかためてゐたもので大正十年五月一日の大検挙に次ぐ殲滅的な歴史的大検挙で驚くべき大不敬が発覚したためである
前回に大不敬事件
当局の苦心見事報ひらる
【京都発】今回の大検挙は京都府警察部が約一年前から内偵を進め大本幹部が去る大正十年の不敬事件にもまさる不敬事件を企らんでゐる確証を握つた結果で、八日未明を期し東京、松江その他の地方と相呼応して大検挙に着手したのである
教主出口王仁三郎氏
松江市にて捕はる
【松江発】大本教教主出口王仁三郎氏は七日午後一時昭和神聖会島根本部五周年記念祭に出席のため鳥取から松江に来り、松江市赤山の同本部に落付ゐてゐたが、かねてその筋よりの移牒をうけた島根県警察部では八日午前三時半、松江警察署並に安来《やすぎ》警察署員の非常召集を行ひ、同四時自動車十数台に警官七十名を分乗させ工藤特高課長、阪根松江署長が総指揮となつて熟睡中の出口氏を叩き起して澄子夫人第二世教主とともに松江署に連行澄子夫人と第二世は同署に保護検束し王仁三郎氏のみ松江を出発、揖屋《いや》駅に向ひ午前五時十七分同駅発京都行列車にて松江署刑事付添ひで京都方面に護送された
護送途中の厳重な警戒
【松江発】出口王仁三郎氏護送の日の島根県警察部は八日午前四時警察部員松江署員等八十名を非常召集して電光石火的に松江市北堀町赤山の大本教島根別院を襲ひ、四時卅五分出口氏に同行を求め自動車で護送、十数台の警戒自動車を連らね深夜の街をブツとばして松江駅を避け一路山陰線揖屋駅に向ひ、同駅午前五時十五分発京都行列車にのせた、出口氏は和服で頭には例の頭巾をかぶつて不思議なくらゐ弱々しい足取りでまるで警官から身体を持ち上げられるやうに車中の人となつた、客車の両入口には二名の監視を配し沿線各駅にもそれぞれ監視を置くといふ警戒振り、車中で出口氏は何か思索するやうな眼をしてしきりに煙草を吸つてゐたが思ひなしか眼は興奮に充血し、顔面には苦悩の色が漂つてゐた、次いで護送警察官の大半は米子駅で下車、島根県から松浦警部補以下五名の警察官が付添ひ、内務省から特派の永野事務官等にまもられて京都に向つた、なほこの日の大本教島根別院の警戒は厳重を極め午前四時を期し動員された、警察官約五十名は武装姿で別院付近一帯を取囲み水も漏らさぬ包囲の策をとり、内外の連絡を遮断、同地方空前の物々しいもので未明の夢を破られた住民は時ならぬこの警官隊の活動にすつかりおびえてゐた、別院には今日の別院開設五周年記念に参列のため県下各地から数十名の信徒が七日夜同別院に宿泊してゐたので八日午前四時四十五分同院を訪ねると今まで三日ほど奥の広間から漏れてゐた騒ぎもピツタリとやみ、こはごは二人の代表らしい人が玄関に現れたので来意を告げると
聖師さんは只今警察の方が来られ同行されましたが何のことかさつぱり判りませぬ
と不安気に答へ全員に重々しい憂色が立てこめてゐた
驚くべき経営の才
王仁三郎氏の人となり
出口王仁三郎氏は京都府下亀岡町の隣村曽我部村穴太の農家上田吉松氏の長男として明治四年生れで六十五歳本名上田喜三郎、幼少から神童といはれ学校教育も終へずに十四歳で学校の助教員になつた、そのうちに獣医の書生、荷車挽、牛乳しぼり配達など恵まれぬ境遇にありながら国学、宗教、哲学などの研究に没頭、明治卅二年大本教教祖お直婆さんの末子澄子さんと結婚、出口王仁三郎と改名した、明治卅九年から四十年にかけ京都皇典研究所にまなび、一時建勲神社の主典にもなつてゐる、王仁三郎氏は頗る博識多才、一見ぬうぼう式に見えるがこの新興宗教して今日の大をなした経営の手腕は驚くべきものがあり、大本運動の対外的活動振りは如実に同氏の活躍であつた、澄子夫人との間に五女あり長女直日さんの夫日出麿氏はその後継者である
薄田京都府警察部長談
【京都発】薄田京都府警察部長は八日午前五時官舎で語る
現在では大本教の幹部達だけの検挙で昭和神聖会の関係者には手をつけず、先づ最初は出来るだけ小範囲に止め、漸次関係者が明かになるに随つて範囲を広めて行く方針である
綾部で幹部多数を検挙
【京都発】綾部の大本教本部に向つた警察隊約百五十名は八台のバスを連ねて同四時半綾部町に到着、郡是グラウンドに勢揃ひし同五時を期し水も漏らさぬ厳戒裡に一斉に本部表門から侵入、本部を固めてゐる幹部を片つ端から検挙し、さらに多数の証拠物件を押収したが、なほ皇道大本では綾部を本部と称してゐるが大正十年の大検挙以来機構を改めて綾部は単に祭儀執行の場所として教主出口王仁三郎氏夫人澄子さんを中心に一部の幹部が居残つてゐるのみで、本部の事務一切は亀岡天恩郷で執行してゐる、なほ澄子さんは近頃屑糸利用の鶴山織をはじめ信者の子女約二百名を集め工業化してゐるが、この日澄子さんは王仁三郎氏とともに松江市に出張中王仁三郎氏とともに同地で検挙された
物凄い番犬うなる天恩郷を
【亀岡発】亀岡の天恩郷を取巻ゐて待機してゐた正服警官百五十名は午前五時星の光を浴び一斉に天恩郷に侵入し、多数の番犬が物凄く吠立てるその中を警官隊は用意の懐中電燈を点じて右往左往し証拠の押収に関係者の検挙に大活動を開始し、今まで静寂を極めた天恩郷は俄然上を下への大騒ぎである、一方亀岡町内に在住する大本教の役員約百五十名を片つ端から検挙して亀岡警察署道場に収容した、なほ当局は午前五時を期して亀岡全町の一般通行を遮断した
秘密の殿堂を捜査す
【亀岡発】亀岡天恩郷の大本教本部を襲つた豊原警務課長の指揮する制私服六ケ中隊よりなる検挙隊はまづ次代教主出口日出麿、王仁三郎氏女婿美智麿氏、同妻女澄江さん、最高幹部高木、東尾、桜井三総務をはじめ天恩郷に在住する男女約百五十名、町内に住む信者役員等約百五十名計百三百余名を亀岡署に引致、同署武道場留置場に収容したのをはじめ、他の一隊は昨今一切関係者以外の出入を禁止して疑惑の的となつてゐた昭和神聖会事務所をはじめ光照殿、秋月殿、智照館、光天閣、大祥殿などの天井をはぎ、床板を外して家宅捜索を行ひ秘密文書、重要証拠物件、刀剣武器など押収したが一方検挙を知らず星空を仰いで朝礼に集まる信者中、老人、女子、子供を除く男の信者を続々亀岡署に引致してゐる
八十キロの間に五百の警官
両町の住民は缶詰
【亀岡発】亀岡を経て奥丹波に通ずる山陰街道は沿道各警察署を総動員し京都、綾部間八十キロの間に約五百の武装警官を配置し八日午前零時を期して同地方の交通を遮断した、しかも国道筋ばかりでなく府道、村道から里道畦道まで警官が頑張つてゐて自動車は勿論村民の通行さへ止めて一々誰何訊問し文字通り水も漏らさぬ警戒振り、亀岡、綾部の居住者に至つては町から一歩も出られぬばかりか京都地方からも入ることが出来ない、ただルームライトを消した警官隊を乗せた市バスばかりが漆黒の暗の中を走るのみ、亀岡の天恩郷と綾部の大本本部は午前三時過ぎ地元の亀岡綾部両警察署が中心となつて武装警官が包囲し、一切の出入を厳禁し物々しい光景である(午前四時記)
浦和
【浦和発】埼玉県警察部では八日払暁警視庁の手配に■し県特高課は小林警部以下が出動し浦和市常盤町居住東京市内某会社重役米倉範治氏(60)を同行取調べてゐる、なほ浦和市本太一〇四一には同教の幹部と目される国分義一氏が居住してゐるが八日早朝浦和署員が出向ひた時はすでに所在をくらましてゐた
新潟
【新潟発】新潟署では八日午前五時新潟県特高課と協力九班に分れて活動を開始、まづ新潟市上大川前小甚旅館に六日から宿泊中の京都府亀岡町天恩郷皇道大本役員井上留五郎(62)同昭和青年会役員神本泰昭(42)両名を検挙したほか市内上大川前通り五番町昭和神聖会支部から数名を引致した、なほ井上、神本両氏は七日夜市内西大畑町で同志とともに座談会を開ゐてゐたものである
昭和10年12月8日【号外】p2
東京でも大検挙
物々しい六ケ所包囲
教主令子以下十名
東京地方検事局と警視庁は京都府警察部の大検挙と相呼応し八日払暁を期し一斉検挙に着手し戸沢、木内、芳賀、吉江、栗谷の五検事が予審判事と共に四隊に分れて警視庁特高課員数十名を指揮、警視庁側は前夜来徹宵特高課千速係長を総指揮官に四谷区愛住町昭和神聖会総本部、麹町区麹町一の一〇同会東京地方支部、同派の支所杉並区方南町皇道大本紫雲郷別院など六ケ所を包囲し首脳部たる土井靖都、広瀬義邦、木村貞次氏などを午前六時までに検挙、所轄署に留置するとともに総本部に前日から来泊した出口氏子息宇知麿氏も検挙したが四谷区愛住町七六の昭和神聖会総本部には午前四時ごろオーバーの襟を立てた戸沢検事をはじめ私服の警官五十名が円タクでポツリポツリと繰り込み、四時半千速係長の合図でドツとばかりに邸内に雪崩れ込んだ、二階建て五十坪ほどの本部はまだ深々と眠り電燈一つなかつたが、俄かの手入れで前夜京都から着ゐた教主の次男宇知麿氏等十名ほどの居住者は度を失つて右往左往、そのうち渋谷区千駄ケ谷二の四八三神聖会宣伝師杉山陸一(40)が本部に連れ込まれ、同人が拍手を打つてお祈りをあげるとそのあとから警官が御神体を押収するといつた手口、階上も階下もガラガラの捜索に近所の人も眼をさます、宇知麿氏等に対してはその場で強制処分の訊問があり、かくて七時四十五分神聖会本部の表玄関の大戸がガラリと開くや黒の二重廻しに同じ色のソフト帽を片手に持ち長髪の蒼白い人が刑事三名に守られて出てきた、問題の出口宇知麿氏だ、同氏はそのまま数町隔てた四谷署に連行され同署楼上の特高室で取調べを受けてゐる、なほ午前八時四谷の本部から『皇道と少女』といふ映画をはじめ愛善社発行の書籍その他多数の証拠書類をトラツク一台に満載して警視庁に引揚げた、東京で検挙されたのは宇知麿氏以下十名である昭和神聖会総本部から押収した物件はトーキー映画「皇軍と少女」全九巻、同「聖地の回復」全七巻、日本刀二振、木刀四振、書類、書籍、日誌等多数である
紫雲郷の天井を剥ぐ
信女十数名嗚咽にむせぶ
戸沢検事、両角予審判事の率ゆる警視庁特高課員、杉並署員の一隊卅名は八日午前五時杉並区方南町三一三皇道大本紫雲郷別院(昭和神聖会東京本部)を襲ひ、同別院の拝殿をはじめ各室から天井裏まで約二時間余にわたり捜索し証拠書類を押収、自動車三台に満載して午前六時五十分、検事局に送る一方、同別院の責任者土居清都氏を杉並署に同行取調べを行つた、同別院は間口十間奥行十五間の豪壮なる拝殿を持ち侍女十数名は不意の手入れにいづれも悲鳴をあげて右往左往しあわただしい場面を展開した、殊に種々の神殿供物その他が押収され清都氏が署員に同行されてゆくときは十数名の信女は拝殿ぎはの格子戸にしがみつき「あれ先生が先生か」と嗚咽にむせんでゐた
何事もない
笑止千万のこと
出口日出麿氏うそぶく
天恩郷本拠を衝く
(皆川本社特派員発)
【京都発】(皆川京都支局員記)八日午前三時半昭和神聖会、人類愛善会その他の活動機関の総本部である亀岡天恩郷周囲には警官隊が物々しく取巻き大検挙を前に不気味な光景を呈してゐる、その天恩郷内光照殿に忍び入れば、中は森閑として嵐の前の静けさ、戸を叩ゐても応答がなく、やむなく戸をこぢ開けて奥の間に入り、家人を起して出口日出麿氏(大本総統補出口王仁三郎氏の女婿)に会ふ、「大本に対しその筋の活動が進捗してゐるらしいが何か心当りはありませんか」と問へば語る
父王仁三郎が今日松江市の大本別院創立五周年大祭に赴き、また神聖会のすべての事務を司つてゐる副統監出口宇知麿が東京に赴き留守中であるから自分としてはただ意外の感に打たれてゐる、この前(大正十年)の事件当時は前もつて不気味な空気が漂ひ、恐ろしい予感があつたが、今度はそれが更になく神聖会の動きにつゐても警察並に憲兵隊その他の内偵が進められてゐたとは承知してゐたが、合法的以外に一歩も出てをらず心配はない、資金関係につゐても他の右傾団体が当局の調べを受けてゐるのに神聖会のみは一度も取調べられていないからいづれあることは覚悟してゐたが、この点も総て帳簿に明になつてゐる、いつ調査を受けてもいい準備が出来てゐる、教主王仁三郎の唱へてゐる新経済機構論も議論を実行に移す行為には一歩も踏み込んでいないからこの点も心配はない、しかし大正十年事件にも比すべき検挙が行はれるとは何か大本の中に大それた計画を持つてゐるとか、危険なもの隠匿してゐるとか予想しての結果だらうが、それは笑止千万である
なほ不安の急迫を知つて日出麿氏は大本最高幹部高木、東尾両総務と鳩首密議を開始してゐる(八日午前三時半記)
大本教の発展史
皇道大本教は明治廿五年京都府下綾部に住むお直婆さん─出口直子刀自当時五十七歳─が物質万能の世の建替へ立直しを叫んでいはゆる「お筆先」一万巻を造り現教主王仁三郎氏がそれを詳解しその精神運動を継承して今日にゐたつてゐる、総本部綾部に活動機関の本部を、京都市外亀岡町に活動の根源地たる天恩郷を置き天恩郷にはつねに四百余名が居住し内部には光照殿、月宮殿など幾多の造営物をはじめ大道場殿、大祥殿、信者のために簡易な宿舎として三棟の安生館等があり年中修行者の絶えることがない、また文書による宣伝その他和文、欧文ともに活字鋳造から銅板製版印刷、製本一切を完備した印刷所がある、大本教の対外的運動としては月刊機関誌「神の国」「瑞祥新聞」を発行して教陣を張る外大本瑞祥会を設立、数多の宣伝使を各地に派遣し大正十四年には欧洲まで進出、パリに欧洲本部を、また支那の世界紅卍字会など宗教界に共同戦線をしき大正十四年には人類愛善会を設立し総本部を亀岡に置き、その機関誌たる「神霊愛善新聞」を発行、更に支那の道院、救世神教、仏教、ラマ教、道教、儒教、回教を含む世界宗教聯合会を北平に設立する等その活動振りは頗る目覚しいものあり支那、英国、米国、ドイツ、フランス、イタリーを初めペルシヤ、スイス、ハンガリー、チエツコ・スロバキア、南米、カナダ、南洋等世界各国に数多の信徒を擁してゐる、外内地では千六百余の別院、分院及び分所、支部があり六千の宣伝使が活躍してゐる、なほ大正十年検挙当時問題となつた事実の内容は建造物に太政官令に抵触するものありとして十月廿日正午楼門に続く玉垣の屋根を剥離するなどの処分をはじめ「神霊界」に掲げた不敬記事は皇道大本を中心に説教した不敬極まるものでこのほか綾部を高天ケ原と称し幹部の称呼を「上ノ大将」「現代大将」などの敬語の使用を強ふるなど幾多問題となつたもので、当時教主補であつた出口王仁三郎は懲役五年、『大正日日新聞』顧問浅野和三郎は懲役十月、『神霊界』の執筆者吉田祐定は禁固三ケ月罰金百五十円に処せられた
大正十年の事件
大本教の大手入れは先に大正十年当時本部の置かれてゐた綾部に京都府警察部により敢行されたが、綾部における本宮山の建築物が太政官令に抵触するのとまた発行の『神霊界』の中に不敬な文字ありとせられたもので、教主王仁三郎氏以下幹部が検挙取調べを受けたもの、大正二年にも信者の体験的奇矯にわたる宣伝で事件を起したことがある
東京日日新聞(昭和10年12月9日【附録】)
昭和10年12月9日【附録】p1
大本教第二次大弾圧の跡
綾部本部と天恩郷に果然・封鎖の厳命下る
今後信徒の出入を禁止
近く旅費を与へて帰郷さす
【京都発】八日払暁突如として第二次大弾圧を加へられた大本教大検挙に際し綾部署に検挙された信徒は百四十余名のうちなほ引続き留置取調べの必要ある六十七名(男四十四名、女卅三名)を除ゐた他の者は八日夕刻永岡京都府保安課長、五十嵐綾部署長が訊問取調べを行つた上一先づ帰宅せしめた、警保局保安課警務官補古賀強氏は亀岡署の検挙状態を視察した後八日午後一時綾部に来り同夜の検挙状況を視察して京都に向つた、なほ京都府特高課では同日午後七時亀岡町天恩郷並に綾部長本部に修行者、奉仕者の出入を一切禁止し事実上両町の大本教は封鎖されるに至つた、これがため現在両町に居住する奉仕者、修行者数百名には府警察部の特別の計らひで旅費を支給し数日中に帰郷せしむることとなつてゐる、右につき薄田警察部長は語る「両町の大本教を封鎖して一切の出入を禁止することは手入れ当初からの方針でこれによつて今後の弊害を除きたい考へである」
断乎!抹殺の方針
一部には治維法適用説
今回の弾圧を受けた大本教の裏面には日本国民としては考へられぬ大不敬事件が潜んでをり、内務省一部におゐて刑法第百十四条の厳罪により処罰すべきものとの見解をもつてゐるが、また一部におゐては今後の押収した証拠品の結果如何によつては治安維持法が適用されるべきとの見解を有してゐる、したがつて刑法の不敬罪によれば五年以下の懲役となるが万一治安維持法の適用となれば無期懲役か死刑となるわけである、いづれにしても内務省としては大本教の存在を絶対に認めず日本から根本的に払拭する見込みで今後の証拠固めを行つてゐる
解散処分免れず
内務省、邪教と断定
大本教の徹底的撲滅に最高方針を決定し、八日同教に対し一大弾圧を加へた内務省警保局は、同日深更まで、教主出口王仁三郎氏以下最高幹部卅名の取調べを行ひ、かつ押収した多数の証拠物件により大本教が今日まで、表面皇道精神を説き皇室中心主義を唱導しながら、裏面には数十万と称せられる信徒を欺瞞し、奇怪にも皇室の尊厳を極度に冒涜せんとする不敬罪の潜在する事実が明確となつたため、今後、邪教と断定するとに決定した、よつて内務、司法両省協議の上近く同教の解散、禁止処分等の処置に出るものの如く、また、教主出口王仁三郎氏に対しては、断じて容赦すべからざるものとして強硬方針で臨み、刑法第七十四条皇室に対する罪
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ処ス神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同ジ
の国法を適用することに決定した模様である
不敬教義の検察が目的
唐沢警保局長の談
今度の検挙は大本教の教義中に不敬にわたるものありといふ断定に基づゐてやつたもので出口王仁三郎が最近大分政治的に乗り出してゐるとか政界方面で押してゐるものがあるとかいふことをキツカケにやつたものではない、そんな政策的の意味は毫も含んでゐない、大正十年の検挙によつても有罪と遮断されたのであるが大赦の恩命に浴してゐる、然るにその後の出口一派のやり口をみるに少しも第一次検挙当時と変らぬ不敬の言動を敢てしてゐるので昨年あたりからひそかに内偵を進めて今回の検挙となつたのである、教義のうちに不敬の個所ありといふので未だ教義全体が然るかその一部か何とも言明出来兼ねる、従つて大本教そのものを禁止するか否かも言明の限りでない、昭和神聖会をやつたのは中心人物が相通じてゐるからやつたまでで神聖会そのものに手を下したのではない、あくまでも教義自体宗教そのものの剔抉《てきけつ》が中心点だ、他の類似の大衆的宗教団体にまで及ぶか否かはいまのところ考へていない
出口教主の精神状態
京大名誉教授今村博士談
【大阪発】大正十年の大検挙後出口王仁三郎氏が大審院に回付された際精神鑑定に当つた当時京大医学部教授今村新吉博士は阪急沿線岡本の自宅で語る
当時大審院で出口王仁三郎の鑑定を命ぜられて私がやりましたが鑑定の内容を私に喋らすことは勘弁して下さい、あの時出口は大赦にあつて免訴になつたのだがその言渡しの際横田大審院長が使つた言葉を私は今でも不都合だと思つてゐる、それは……精神状態が正常であつたにしろ、なかつたにしろ兎に角二度とこんなことを繰返してはいけない……といふのである、この言葉を怪しからぬと私がいへば鑑定の内容は想像がつくでせう
宇知麿以下の身柄引取り
刑事東上する
【京都発】東京で検挙された出口宇知麿他七名を受取りのため京都府刑事課片岡警部補ほか九名の刑事は八日夜九時十五分京都駅発東上、九日夜警視庁から身柄を受取つて帰洛するはず
大本教の組織系統
図表
満州で活躍の出口三千麿
【新京本社特電】(八日発)大本教大検挙の報は満州各地の同宗徒に異常な衝動を与へ何れもその成行を注目してゐるが、去月下旬旅順に開かれた同教の外郭団体である昭和神聖会に出席した出口三千麿は、その後新京、奉天の大本教支部を訪ひ、すでに朝鮮に赴き内地への帰還の途中である
不穏文章を押収
問題は”霊界物語”七十冊
けふから内容調査
【京都発】七日来一睡もせず綾部大本教本部の大検挙に活躍した判検事は八日午後五時一先づ同本部を引揚げ、同夜は綾部町に滞在することになつたが今朝から行はれた家宅捜索によつて意外にも教祖殿、金竜殿、教主殿からは何れも多数の不穏書籍を入れた本箱、神光舎では多数の帳簿を発見、何れも一まとめにして悉く厳重なる封印を行つて引揚げたが中にも教祖殿から発見された書籍のうちには問題の「霊界物語」七十余冊があり、また各地方別院、支部、分所等から来てゐる種々の恐るべき不穏秘密情報書類も発見したので九日からその内容を調査することになつてゐる、かくて八日は夜に入つても早朝から永岡保安課長指揮の下に活動した二百卅名の警官は前夜来の疲れいとはず不気味なまでの緊張裡に交代して徹宵待機してゐる
家宅捜査
【京都発】八日綾部より京都に護送した大本総本部の巨頭で同町に居住する綾部町上野昭和神聖会本部長桜井同吉(63)同町上野大本総本部総務岩田久太郎(62)同町本宮元昭和神聖会三丹本部長退役海軍少佐山口利隆(59)同町本部大本工芸課長瓜生謙吉(59)上野大本史実課長丹州時報記者吉野花明(55)六名の家宅捜索は同日午後一時京都府警察本部より出張した六班の警官隊により一斉に行はれたが、中にも桜井同吉宅では書籍約三百冊その他を押収したのをはじめ、各自宅より書籍書類入りの石油箱二個、柳行李二個、風呂敷包四個等を押収し同六時綾部署に引あげた
独房の内で睡眠と瞑想
署長、温情の差入れ
【京都発】松江で検挙され京都に護送中立売署に留置された出口王仁三郎氏は八日は取調べ訊問は一切行はれなかつたが長途の汽車旅行の疲労からか午後三時過ぎ独房内で日没までぐつすり睡眠し極めて温く何事か考へ通した、独房内の氏は松江から着て来たマント一枚だけが唯一の防寒具なので如何にも寒さうなその姿を見かねた篠田同署長が特別の計らひで夜具の差入れを許しこの由を亀岡の同教本部に伝へたので同夜七時すぎ三名の昭和青年会員がトラツクで出口氏邸から絹夜具、毛布などを運び込み同夜の王仁三郎氏は温かい瞑想にふけることが出来警察の厚意を感謝してゐるが氏が中立売署にあるを知つた四十歳ぐらゐの商人風の一信者が
御聖主様に是非これを差入れて貰ひたい
と毛布、弁当などを持ち込み悄然として立去つた
検挙は当然
変態心理学者中村古峡氏談
【千葉発】千葉市千葉寺に居住してゐる変態心理学専攻の学者で大正九年、十年にかけて大本教祖出口直さんの精神状態を調査した中村古峡氏は語る
私は元来東大で心理学を専攻した者で特に変態心理を研究し大正の初めごろ雑誌「変態心理」を出してゐましたが直ばあさんが神がかりの状態で認めたお筆先なるものが非常に問題視されてゐることを知り、綾部に行つて調査しましたところお筆先なるものはいはゆるキツネツキの状態で何等の連絡なく書き散らしたものでお直ばあさんは明かに精神病者であることを確かめ得ました、ところが王仁三郎氏はこの宗教的部分を利用し時事問題に結びつけて予言などをし、またお筆先の解説書である「大本神諭」天地人三巻を著しました、この書物とお直ばあさんの書ゐたお筆先とを比較して見ましたところ丸で違つていました「大本神諭」の中に○○○といふ伏字が沢山あり○○○に字をあてはめて読むとその部分は不敬な文字に当るので当時京都府警察部ではお筆先とともに同書をも押収し、地、人の二巻は直ちに発売を禁止しました、そのうち王仁三郎氏の原稿が出て来て○○○の文字がハツキリしてきたので不敬罪で起訴され、大審院で王仁三郎氏の精神鑑定をすることになり大審院は私を鑑定人に選びましたが王仁三郎氏が私を忌避したため杉田直樹博士が鑑定人になりましたが鑑定を行ふ前に特赦になりました、しかし王仁三郎氏は決して精神病者ではなく才人で人心収攬の妙を得てゐますが山師であるやうで特赦の後は鉾を納めてゐましたが最近またお筆先を持ち出したとか、そして矢張り不敬な文字を用ひてゐるといふことを薄々耳にしました、検挙されるのは私としては誠に当然と思つています
幹部七名京都へ
【京都発】綾部署に検挙された大本教幹部信者等百五十名のうち京都に護送した幹部七名のほかは全部工芸館に留置、九日から取調べを開始する、右幹部の七名は
大本教本部総務岩田久太郎(62)元昭和神聖会三丹本部長山口利隆(49)退役海軍少佐工芸課長杉本晋一(40)と庶務課長瓜生謙吉(59)昭和神聖会本部長桜井同吉(63)歯科医三丹時報記者吉野花明(33)及び栗原白嶺、高木鉄雄東尾吉雄のほか福知山署で検挙した茂田光蔵などである
信者は釈放
【京都発】京都府下綾部、亀岡の本拠を中心に東京、松江の両市におゐて一斉に行はれた十五年ぶりの大本教大検挙は松江市で検挙された「昭和のラスプーチン」総統出口王仁三郎氏は八日午後一時廿五分着列車で京都に護送され東京で検挙された副総統出口宇知麿氏も両三日中に京都へ護送され、また綾部、亀岡両町で検挙された三百名の信徒は亀岡、綾部両署でどしどし取調べの上、卅名の事件関係を除くほか一応全部を釈放、留置された卅名も大部分は八日中に京都へ護送され、九日中には全部護送されることになつた
俎上の大本教(1)
”弾圧”で大きくなる
適中した教主の予言
第一次検挙からの十五年間
再起への積極的活動
【京都発】昭和十年十二月八日午前五時──突如として起つた検察陣の大嵐は、皇道大本教本部所在地の綾部及び本部事務所のある亀岡町を中心として全国的に吹きまくり、第二次大本大検挙が決行された、第一次の大本検挙が行はれてから実に十五年目、しかも、今回の検挙は前回より遥に大がかりであつた、亀岡の事務所天恩郷、綾部の総本部の如きは、京都府警察部の武装警官隊が包囲し、東京松江と相呼応して総統出口王仁三郎氏をはじめ、一族有力信者等をすつかり検挙した、その筋では前回以上の大不敬事件と発表してゐるが、亀岡の本部事務所から連行された副総統日出麿氏は「大正十年の時は不気味な空気がただよひ、恐ろしい予感があつたが、今度はそれがなかつた、しかし前回と同じやうな活動が大本に向けられてゐることは、大本が何か政略を持つてゐるとか、危険なものでも隠匿してゐるやうに考へてゐる訳だらう」と法難を叫んでゐる、また、出口王仁三郎氏は前回大弾圧を蒙つた際「大本は警察が手を入れれば入れるほど大きくなる」と豪語して官憲を煙に巻ゐてゐたが、大赦によつて許されて帰る時は、爾今《じこん》皇室に関することは勿論、政治、外交等にも大本としては絶対に口出しせぬといふ七ケ条の誓約書を入れさせられてゐるから、大本としては手足をもがれて再起出来なかつたはずであつたので、それから僅十五年、またしても官憲がかうした大手入れを行はねばならなくなつた原因は、果して那辺に潜在してゐたのであらうか、最近の大本教はどうであるか王仁三郎氏は誓約を無視して行動の本義に基く祭政一致の確立、皇道経済、皇道外交等を論じ、その教線の上では各地に別院を立てかつては蒙古紅卍教と手を握つて北支にその手を伸ばし、また日本のエスペランチストを動員したり、ローマ字を通じて世界的進出を期して「世界を救ふものは大本である」とさへ、平気でいひふらしてゐた、更に別働隊としては人類愛善会、日本武道宣揚会、昭和青年会、昭和坤生会、昭和神聖会等を次から次へぎと作りあげ、外部的な活躍の停止を誓つた筈の王仁三郎氏が、これ等を統帥して積極的に活動し、昭和青年会は卅万、坤生会は婦人の青年会で、これまた廿万の会員を擁すると公表してをり、神聖会は会員百万を目指して昨年の春頃から全国的に羽をのばし、各府県に続々と支部を設立してゐる、更に大本農園を経営し二代教祖の澄子さん(王仁三郎氏夫人)は、鶴山織の手工芸を通じて農村問題に相当に深く食ひ入つてゐるし、青年会には兵式訓練を施してゐること等は見る人からみれば、王仁三郎氏が豪語した如く、大本は年々にそのスケールを大きくして、現在では第一次大検挙前の大本教よりも大きな団体となり、王仁三郎氏の予言が当つてゐるわけである
特高課長の一言に神妙な出口教主
島根別院検挙の光景
【松江発】大本教主出口王仁三郎氏は島根別院で寝込みを襲はれたが、この日午前四時物々しい警官隊の厳重な警戒裡に工藤特高課長を真先に決死の警官五名が別院玄関から躍り込み、やにはに昭和青年会員の監視哨二名を検束し奥の寝所に近づくや十名ばかりの監視哨を「動くな」と大喝して震へあがらせそのまま寝所に突き入つた、驚ゐて起上がらんとする出口教主を見つけるや工藤特高課長は「出口さん、京都へ帰つてもらひますぞ」との一言と共に一同は襲ひかかつてその左腕をつかんだ、すると出口氏も全く観念したものの如く「逃げやしません、逃げやしませんい」と手を差出し和服と着替へおとなしく同行されて行つた、また同四時半北松江警察署から自動車で京都に向け出発の際かたはらの澄子夫人を顧みて「出口は急に用事が出来て京都に帰つたと信徒に伝へてくれ、信徒に心配させるな」と名残の言葉をかけたが俤は悄然たるものがあつた
この日の島根の警察陣は何しろ軍事的訓練を行つてゐる昭和神聖会青年会員が多数詰め切つてゐる本部なので万一のことがあつてはといふので植野衛生課長まで動員し繃帯やら薬剤を用意して島根別院と一町と離れぬ警察部長官舎に陣取るといふ物々しさ
本部に泊り込んでゐた信者の多数はこの騒ぎに何事が起つたのかとビツクリし教主を拉致されて呆然とこれを見送つた、八日は早朝から続々と信者が五周年大祭を目指して集まつて来たが制服警官が随所に張り込んでゐるし、その上出口教主の不在といふのでまるで狐につままれたやうな形であつた
昭和10年12月9日【附録】p2
”弾圧の嵐”をゆく
天恩郷車窓に教主、万感の涙!
十五年ぶりに留置場へ
護送の列車に訪ふ
【京都発】綾部の教主出口王仁三郎氏を訪ふべく記者は松江発八日午前九時十一分山陰線上り二〇八号列車に兵庫県豊岡駅から乗車した、たつた一輌の二等車のドアを拝して入ると車の中央に写真で見馴れた王仁三郎氏が茶羽二重の下着に例の特徴ある帽子をかぶつたまま巨躯を悠然と寝そべつてゐる、傍には警保局永野事務官、高橋京都府警察部警部をはじめ制服、私服の警官が物々しい警戒陣を張つて容易に話しかけることも出来ないのみか「今日は絶対にしゃべつて貰つては困る」と忽ち箝口令を布かれて沈黙のインタビユーを余儀なくされた、やや暫くして前に寝てゐた王仁三郎氏は起き直りふと記者の存在に気がつくや丁寧な黙礼を送つたが高橋警部に一言二言耳打ちされるや「ああ新聞記者か、わしは話すことはないよ」と如何にもうるささうに吐き出すやうにいふ、気のせゐか見れば心持ち憔悴してゐるやうだ、さすがに何処か落着きを失つて敷島を吸うたと思ふとお茶を飲みみかんを食べる、寝ころんで見たり起きてみたり、時に沈思黙考もするといふ御行儀の悪さ……沈黙列車の車内は車軸の音のみ徒らにやかましく列車が京都府下に入つて福知山駅に着くと北浦福知山署長、岡部京都府刑事課警部以下私服刑事数名がどやどや乗り込んで警戒一層厳重を極め最早何人も寄せつけない警戒振り、他の乗客が一人もゐない二等車には鋭い目がただぎらぎら輝くばかりだ、十一時四十分大本教発祥の地綾部に着ゐた、流石に感慨深げに車窓から外を眺める王仁三郎氏の目は言外に万感を述べてゐる、また亀岡駅通過の際車窓遥か天恩郷が視界に入ると幾百信徒の身に恩を馳せてゐるやう、王仁三郎氏は思はず滲み出る涙を手拭で押へつつまたも窓外を見やり何時までも何時までも走り行く天恩郷を見やる目──その目は余りにも雄弁に心境を語りつつ列車は一先づ京都へ向つた、かくて二条駅に近づくと鉄無地のお召に茶の羽織を着てマントにベロアの帽子といふ身支度を整へ午後一時廿五分警官の垣に囲まれて二条駅に降り直ちに府刑事課差廻しの自動車で中立売署に向ひ車中で痛めた足を引摺りながら十五年ぶりに思ひ出も悲しい冷い留置場の古びた柵内に姿を消した
甲府で信徒禁足
【甲府発】山梨県特高課では大本教本部の一斉検索で甲府市藤川町昭和神聖会その他大本教の外郭団体の信徒一千余名が綾部に急行せんとする形勢があつたので八日朝一斉に禁足を命じ厳重警戒中
議会解散を叫び請願の猛運動
遂に計画の実行化
正体を暴露された大本教の関東地方における本部は杉並区方南町の皇道大本紫雲郷別院でこれに付属する人類愛善会本部、昭和青年会、昭和坤生会(婦人部)及び別働隊である昭和神聖会等の本部が四谷区愛住町七六にあり市内各所に支部や出張所百三十余ケ所を設け東京における信徒の数を二万人といつてゐる、人類愛善会では機関紙人類愛善新聞を発行し現在廿五、六万を印刷し信徒に配布してゐる、昭和神聖会では昨年二月十一日全国に約十五万人の会員を有する昭和青年会、昭和坤生会及び右翼団体の一部を主体として結成されたもので大本教における行動隊であつて昨年の議会開会直前には議会解散請願の運動を起したことありその後におゐてもかなり激越な実行運動を計画し当局は同会の内状につゐて内偵を続けてゐたものであつた
検挙をよそに五周年記念
静かなる島根別院
【松江発】大本教島根別院五周年記念大祭は八日午前十時から県下の信徒昭和神聖会員のほか一般人千八百余名を迎へ盛大に行はれたが、松江署では別院内外に約五十名の制服警官を配置警戒した、大祭は出口澄子夫人が臨場し別院幹部も異状なく記念祭に次いで歌祭り神聖歌劇の催しがあつて教主不意の検挙に対し教主を慕ふ信徒達も何等の動揺も見せず祭事を執行してゐる
戒厳令下の亀岡町
家宅捜索続く
【京都発】八日朝四時半を期して行はれた亀岡町天恩郷の検挙は午前十一時ごろ一段落を告げ天恩郷内大祥殿に設けられた検挙本部では第二段の検挙につゐては小野、鈴木、三木、小田原、田辺各検事、西川予審判事、豊原警務課長、木下亀岡署長等が鳩首協議し一方月宮殿、高天閣、月照殿等の家宅捜索が続けられてゐるが天恩郷の各入口は正服警官が十数名づつ物々しく警戒し検挙隊以外の者の出入を一切禁止し記者の如きも警備警官の肩越しに内部の検挙状況を遠望するのほかはなかつた、検挙された皇道大本本部幹部並に日勤奉仕の信者達は亀岡署の楼上と武術道場に不安気な面持ちで収容されてゐるが未だ取調べに着手するには至らない、警察署と天恩郷の間に制私服警官の往来頗る頻繁で依然として亀岡町は戒厳令下の緊張に包まれてゐる
『夢のお告げ』
帰された教主夫人の話
【松江発】保護検束された松江署から八日午前八時市内北堀町赤山の大本教島根別院へ帰された教主夫人澄子さんは奥まつた一室で幹事にとり囲まれながら語る
何のことかさつぱり判らないので全く狐につままれたやうですがどんな事件のヒツかかりでせうか、何分信者が多いことだし大本教を傷つけようとする敵も少くないので或はそんな関係からではないかと思ひますが私としては財産も身体も投げ出して「ひのもと」のために働ゐてゐるので直接本部にかかはりがあるとはないと信じてゐます、実は二晩もつづけて信者が危害を加へる夢を見たといつてをられますが、それがお告げであつたのかも知れません
トラツクに満載
証拠品を押収
警視庁の大検挙
この日警視庁特高課は第一、第二両係を合せて約七十名を動員検挙に当つたが検挙された人物は
杉並区方南三一二紫雲郷別院から正宣伝使八級土居靖都、四谷区愛住町七六昭和神聖会本部から正宣伝使十級広瀬義邦、同会副統監出口宇知麿、小石川区原町一五一六宣伝使三級御田村竜吉、荏原区小山一九七正宣伝使十二級高川宅次、品川区上大崎二の五五九正宣伝使十級木村貞次、淀橋区戸塚町三の三一九総本部秘書米倉嘉平はそれぞれ自宅から検挙、四谷区愛住町三八ハウス・ハマ正宣伝使十一級葦原万象は京都の総本部に行つてゐることが判り直ちにその旨京都府警察部に手配、また宣伝使米倉恭一郎こと米倉範治は浦和市の自宅から同県警察部の手で検挙した
押収した物件は杉並の紫雲郷から日誌、会計帳簿及び刃渡り七寸余の短刀一口ほか多数の証拠書類を自動車に三台、また四谷区愛住町の神聖会本部からは出口王仁三郎全集、瑞祥新聞、真如の光、昭和の神国など著作物をはじめ写真帖フイルム五十巻、日本刀一口、木刀五本をトラツク一台に満載して引揚げた、東京市内における八日早暁の一斉検挙にもれた大本教正宣伝使深町霊陽氏は八日午前十一時靖国神社境内でお籠りをして引揚げるところを張込み中の警視庁特高課員のために検挙された、検挙者の身柄はそれぞれ所轄署に分割、留置したが両三日中にいづれも京都へ護送する筈
亀岡を過ぎる時は寂しさう
永野事務官談
【京都発】出口王仁三郎氏の引致を指揮するため松江市に出張し王仁三郎氏とともに京都に来た内務省保安課永野事務官は八日午後二時半京都府警察部長室で語る
私は関係者を調べはせぬが四、五日滞在し府特高課と協力して捜査を援助するつもりである、王仁三郎氏を連行する時は松江の別院に百名くらゐ信者がゐたが同氏は行けば判るから狼狽せずともよいと諭し、澄子夫人も例のあることだからと落着ゐたものであつた、途中は概ね雑談に過し事件の内容には触れなかつた、亀岡を過ぎる時は流石に寂しさうな面持で亀岡の町が視界から遠ざかるまで感慨深げに眺めてゐた
大阪でも警戒
【大阪発】八日朝行はれた大本教関係の一斉検挙は大阪府警察部では午前十時内務省警保局よりの指令に基き信徒及び昭和神聖会員の動揺を極力警戒することになり特高課岡田思想係長等が緊張してゐるが目下一名の検束もなく表面平静である
大本教の別働隊
昭和神聖会の正体
全国的の細胞組織
【大阪発】問題の昭和神聖会は「国民天賦の使命達成を期す」との美名の下に昭和九年七月出口王仁三郎氏が会長となつて創立されたもので総本部を東京に、地方本部を全国各主要都市に設けてゐる、同会会則によると会の目的達成のため総裁府、統監府を置き総裁府は会の枢機に参画、総裁及び副総裁と理事数名がこれを統制し、また統監府は会の目的、会務執行の機関で統監及び副統監二名、評議員数名から成つてゐる、地方には本部のほかこれに従事する諸支部があり、細胞組織が全国に拡がつてをり、しかも会の経費は信者または篤志家の寄付金によつて賄はれ別働隊として勢力をなしてゐる
放置できぬ不敬の言動
京都府警察部発表
【京都発】京都府警察部では八日午前九時廿分鈴木知事から左の如く発表した
京都府綾部町に本部を有する大本教におゐて不敬の言動あるやの疑ひあり、かねて注意中のところこれを放置するにおゐては公安上憂慮すべきものあるを認め十二月八日京都府警察部におゐて京都地方裁判所検事局と打合せの上警視庁並に島根県警察部と協力して関係個所の家宅捜査をなすと共に出口王仁三郎以下約卅名の関係者を検挙せり
殊勲
大検挙までの苦心
当局・秘密を死守す
薄田警察部長と杭迫特高課長
【京都発】不敬事件を起こして八日未明松江で検挙された大本教教主出口王仁三郎氏(65)は大正十年の不敬事件で禁錮五ケ年に処せられ大幹部浅野和三郎、吉田助定等と控訴中大正天皇崩御の大赦によつて自由の身となつたが、その後蒙古に渡つて各旗[地]の王に会見し紅文字[卍字]教と手を握る等宣伝大いに努め帰朝以来積極的に印刷物や各種の団体結成に力を注ぎ少しも改悛の情認められず、最近におゐては各地の建築物の復興再建など漸次教団が旧態に復しつつあるので、数年前から京都府特高課の目が光り、昨年十一月今回の検挙の采配を振つた杭迫特高課長着任の際には前任者利根特高課長から特に監視の必要を受ついで爾来一年有余、特高課思想第二係長高橋警部が主任となつて不敬事件の摘発につき内偵が進められ遂に確証を掴んで今回の大検挙を見るに至つたもので、この間における杭迫特高課長ならびに薄田警察部長が検挙の準備工作を大本教ならびに外部に漏らすまいとする苦心は並大抵ではなくいよいよ検挙の行はれるといふ七日深夜に至つても事実を知る者は薄田部長、杭迫課長、奥永捜査次席ならびに高橋警部の四名に過ぎず、市内及び府下の各署長も非常召集が行はれて選抜の特別検索隊がいよいよ出発間際の八日午前零時に至つて初めて薄田部長より話を聞ゐたのであつた
丁度この両三日は税務疑惑が滞貨生糸の処分に絡まる大贈収賄事件に発展し世人の目が悉くこれに向けられてをり一方非常召集も歳末警戒にカムフラージユ出来る絶好のチヤンスでこの機を捕へて、巧みに事を運び遂に大検挙を敢行したもので薄田警察部長と杭迫特高課長の功労は大きい
内務省と打合せ
合言葉で秘電
当局の検挙苦心は別項の如く並大抵のものではなく、本年春京都府警察部が内偵を進め、内務省の指揮を仰ぎ、唐沢警保局長、相川保安課長が総指令となり、司法省の協力を得て八日早暁の大検挙となつたもので、その間当局の苦心努力は実に涙ぐましいかぎりで、内務省、警視庁、司法省でも幹部三、四人を除ゐて事件の真相を知る者はなかつたといふ、しかも京都府警察部と警視庁との頻々たる電話は勿論、この事件に関する通話はすべて合言葉を用ひてゐた
豪奢な長生殿
五十万円で建築
【京都発】綾部の大本教本部は大正十年神殿が神宮建築を模したもので不敬にわたるとの理由で京都府から取毀しを命ぜられ同年十月廿七日取毀しを敢行して以来そのままになつてゐたが、近来大本教に対する世間の邪教的認識が漸く薄らいだので此時とばかり王仁三郎教主は再建を計画し去る十月廿五日に執行された秋季大祭第一日に昔の神殿を長生殿と改称して再建することを発表し、その礎石祭を執行したこの長生殿は全国各地から集めた五十万円の基本金で建立するもので現に台湾から取寄せた杉材で建築中である
新潟の検挙
【新潟発】号外所報、新潟市上大川前通五番町小甚旅館に宿泊中検挙された本部総務教務部長、昭和神聖会参事井上留五郎氏(62)同党務補国防部長神本泰昭氏(42)は
六日夕刻来港、七日午後二時から昭和神聖会新潟支部事務所で小甚旅館で信徒数十名を集めて講演会を開き同夜九時から西大畑町皇道大本新潟分所で地方大会を開催、中下越から参集した各支部幹部卅余名と約二時間に亘り本部との連絡融和等につき協議を遂げたものである
浦和で検挙された米倉氏
【浦和発】八日午前七時警視庁の手配により埼玉県特高課員に連行された浦和市常盤町米倉範治氏(60)は国学院の出身で現在王子化工製紙会社工場長で東京在住当時大本教中野分院幹事をしてゐた、妻女とみえさん(56)は語る
去月十五日王子から浦和へ移転すると同時に中野分院の幹事その他の役員一切をやめて一信者となりました、大本教信仰しはじめてもう十数年になります、八日早朝警察の方が見えて突然連行されましたが事情ははつきりわかりません
まさに台風一過
ガラン洞の本部
三間おきに警官の垣
【京都発】綾部へ自動車を走らせる途中京都を出て僅に乙訓郡大枝村近くで警官隊のため前進を阻まれた記者は八日朝一番列車で綾部町に到着、十重廿重に物々しく取巻ゐてゐる警戒陣を突破して大検索後の皇道大本本部へいの一番に乗り込んだ、参道入口には警官四、五十名が一団となつて憩つてゐる、受付から右に折れると参道には今なほ三間置きくらゐに警官が配置されて厳重に見張つてゐる、百余の信者を缶詰にしてゐるといふ祖霊殿の前に抜け出たがここにも警官隊が張番してゐて外来者は一歩も踏み入れさせない、石段を登つて本部に来ると大建築の前に立つてゐた四、五名の警官がうさん臭さうな顔をして睨みつけるが委細構はず靴をぬいで上つてみると五百畳敷きもあらうと思はれる大広間には机が四、五脚散らばつてゐるだけで人影もなく、「朝礼五時半、夕拝五時」の貼紙が淋しく畳の上に落ちてゐた、大広間の奥にある弥勒殿横の宿直室は宿直の人だけがぐつすり寝込んでゐるところを襲はれたらしく蒲団や枕があちらこちらに散乱してゐる、弥勒殿の中を通り抜けて玉霊殿前に出たが中は真つ暗闇、入口には相も変らず警官隊が見張つてゐるので引返し出口教主邸前に来たがここでも警官隊にせかれて危うく検束されさうな気配にやむなく引上げた
信徒の動揺を最も警戒
工藤島根特高課長談
【松江発】出口教主検挙に鮮かな腕を揮つた工藤を島根県特高課長は語る
僕は本県赴任の際すでにこの大使命を受けてゐたこととて無事使命を果して重荷を下した、最も苦心したのは八日開かれる大祭を目ざして集まる二千の信徒の動揺とかねて訓練してゐる昭和青年会の動静で武装警察官二百名決死隊編成といふ物々しい検挙陣を敷きながらも信徒に刺激を与へるやうなことは極力避けることに力[努]めた、しかして出口もすでに覚悟してゐたものか非常に穏かな態度であつたとは喜んでゐる、すでに集まつてゐた二百余の信徒には特に今日(八日)の大祭執行を許し警戒も緩和して軽率妄動を戒めた
第三代教祖も寝巻姿で連行
綾部の本部手入れ
【綾部発】綾部皇道大本教本部の大検索は八日午前五時を期して一斉に開始されたが京都から武装警官隊をギツシリ缶詰めにした市バスが午前四時すぎ相前後して到着、綾部署員を加へて総勢約三百名の武装警官が綾部郡是グラウンドに勢揃ひし永岡保安課長総指揮にあたり四台にわかれて本部を襲ひ、逃げ惑ふ女子供を捕へて案内として参籠中の信者は勿論宿直の男女子供に至るまで総検束し綾部署に五十名、祖霊殿に百名をそれぞれ検束、検束者は五十嵐綾部署長自ら取調べに当り関係の薄いものから順次帰宅を許してゐる、午前六時までに綾部署に検挙されたのは皇道大本庶務課長瓜生謙吉、同史実課長吉野華明をはじめ幹部桜井同吉、山口利隆及びその家族等その他約廿数名で家族は一応取調べの上放還したが瓜生、吉野、山口などの幹部は綾部署に留置されてゐる、なほ第三代教祖直江さん(日出麿の妻)も八日払暁綾部大本教本部の検挙で寝巻姿のままで他の幹部と共に綾部署に連行取調べを受けてゐる
第一次検挙を語る
腹心の警部を間諜に使ふ
平沼総長の激励に勇躍
時の警察部長藤沼さんの追懐
今から十五年前、大正十年二月十二日最初の大本教大検挙をやつてのけた時の京都府警察部長現貴族院議員藤沼庄平さんは荏原区小山町の自宅で本社の号外を手にして「ホホオやつたね」とまづ感嘆の第一声を発した「おれの追懐談かネ、それは困るよ、昔話つてものは自慢話に堕ちるんでネ…」とくりくりした如何にも栄養のいい顔をツルリと撫でながら語るのである
大分昔ぢゃで忘れてしまうたが丁度卅七歳の時ぢやつた、この大検挙の一年半前の大正八年の秋、出口を三日、朝の一晩取調べて「以後かかる不謹慎の行為なきやうに」との軽い警告を発したことがある、この時かれらが改悛すればこんなこともなかつたのぢやが、その後何等謹慎の模様がないのでこれはいよいよ断行せにやならんとひそかに上京して内務省に意中を訴へ、ついで司法省の豊島刑事局長を訪れたところ検事総長に会へといはれた、時の総長は平沼騏一郎さんで次席検事は小山松吉さんだつたが、この両氏に会つた時平沼さんは「やれ!」とたつた一言、承諾を与へたのだ、まさに千金の一語だつた、今まで誰も相手にしてくれなかつたのがかう簡単にいはれたのでわしは飛立つやうに嬉しかつたものだ、その後腹心の警部高芝羆君(現在日本生命仙台市支店長)を綾部に派して証拠を集めさせたがこの先生が実によく喰ひこんだもので、一年間のうちに彼は大本教の枢要部にまで列せられた程食ひ込んでゐた、そこで大正十年二月十二日(発表されたのは同年五月一日)の前夜即ち紀元節の夜十一時─(紀元節を遠慮して一日延ばしたわけである)─電話で私自ら部下の署長を官舎に召集した時、何事ならんと一同おつとり刀でやつて来た、ここで先づ署長にはじめて計画を打ち明け、十二日の未明舞鶴行の列車に警官約百名を目的も告げずに乗り込ませたが、一同は舞鶴でストライキがあつたんぢゃらうくらゐに考へてゐたらしい
車中で計画を伝へ各自の分担部署を書ゐた封書を手渡した時は流石に緊張その極に達したわけぢゃ、検挙地綾部、亀岡、八木、京都の四ケ所を中心とする地方は通信電話を切断したので新聞社の記者諸君は手の下しやうがなく現場にやつて来た時には一網打尽の検挙を終へて引揚げた時だつた、全くあの時は痛快だつたネ、今から考へて私が若かつたと思ふのはこの時十分な証拠がありながら、不敬罪だけでやつたので出口等は結局特赦で放免されたのだ、出口つて男は実に変通の才のある男で、かれを大正日日新聞社長室から呼び出した時「藤沼さん、不敬罪ではないでせうネ」とまつ先にいつたのには感心したよ、兎に角こんなものが日本に存立を許されてゐること自体が間違ひなので、今度こそは断乎として膺懲《ようちよう》せにやならん
と藤沼さん最後に一言、元の警視総監気質を出したが流石に往時を追想してか感慨を禁じ得ないやうだつた(写真は本社の号外を手にした藤沼さん)
時の警部高芝さん
その頃を語る
【仙台発】謎の大本教に大正十年二月十二日第一回の手入れをした当時京都府警察部長だつた藤沼庄平氏の命を受け、単身大本教本部に入り込んで王仁三郎から「大本教教主補秘書」の墨付をもらひ、身命を賭してその内情を具さに調査報告して検挙に隠れた功労を立てた当時京都府警察部高等課勤務高芝氏は、昭和二年退職後日本生命に入り現在では仙台支店長になつてゐる、今回の検挙に際し同氏は第一回の検挙につゐて左の如く語つた
大本教は最初から邪教といふのではなかつたが、出口氏と勢力争ひの形があつた浅野和三郎氏一派の暗闘となり、一部の信者は好きな行動するやうになつた、この当時の床次内相、中橋文相をはじめ、藤沼警察部長は信仰団体に弾圧を加へることは面白くないし却つて悪い結果になるから出来るだけ善導しようといふので、私が大正八年夏命ぜられて本部に入るやうになつた、一ケ年半にわたつて内情を調査し、出口氏に教義の正道に立返ることを勧めた、同氏も非常に感激して私を教主補秘書にしたが、しかしそのころ祭務を主としてゐた出口氏の勢力は政務を預つてゐる浅野氏まで及ばず、本部の内訌《ないこう》は再三の警察部の勧告をきかなかつたので遂に手を入れたわけである、出口氏は大本教の機関紙大正日日新聞から、また浅野氏ほか三氏は大本教本部から連行したが、誰一人として反抗などしませんでした、あの当時当局の警告をきゐてゐれば今回の検挙もなかつたでせう
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作成:2009-3-27 0:25:04   更新:2015-6-20 0:59:52   閲覧数:4728
王仁三郎ドット・ジェイピー