王仁三郎ドット・ジェイピー
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二日目(20日、土曜日) - 2


午前7:30 ラルー島に接近

 ラルー島が見えて来ました。
 現在のラルー島は水没間近のとても小さな島です。
 下の写真で黄線でマークした島がラルー島で、他の島のように見えるものは浮島であり、地面が繋がっているわけではないようです。
 ここで簡単にラルー島のおさらいを。
 「ラルー島」(拉魯島)という名前は霊界物語には出て来ません。日月潭に浮かぶ島として登場するのは「竜の島」(たつのしま)です。

 台湾島の三五教は、玉藻湖(日月潭)の近くにある玉藻山に本拠地を構えていましたが、バラモン教を奉ずるアークス王の一派に占領され、教主・真道彦命は行方不明となってしまいます。
 真道彦命の二人の子、日楯と月鉾は、父の仇を討ち三五教を再興するため、玉藻湖に浮かぶ「竜の島」に渡り祈願を凝らしました。島の山の頂上に登り、断崖絶壁から湖に飛び降りて神意を占おうとしたとき、言依別と国依別の宣伝使がどこからともなく現われて、琉と球の宝玉を授けました。
 それ以後、日楯と月鉾は勇気が湧き、言霊戦を開始するために言霊の練習に全力を尽すことになります。

 これは第28巻第3章「玉藻山」に出て来るシーンです。「竜の島」はこの章にしか登場しません。しかし琉・球の玉を授かる重要な島です。
 霊界物語には「紺碧の波をたたへた玉藻の湖水、小さき島影は彼方此方あなたこなたうかみ」と描写されていますので、玉藻湖には島が複数あったようです。
 しかし現代ではラルー島以外に島はないので、ラルー島が竜の島に相応すると考えちゃってもいいと思います。
 ここには昔、先住民サオ族(邵族)が住んでいましたが、日本統治時代、ダム建設で大部分が水没するため移住させられたようです。
 このダム建設を祈願するため、島に市杵島姫命を祭った「玉島社」を建立したとのことです。もちろん戦後は撤去されています。

 この島に上陸して、台湾の国魂神・竜世姫命に祝詞を奏上させていただこうというのが本日のメインイベントです。

 ラルー島に近づくにつれ、痛々しい姿が見えて来ました。


 ラルー島は昔はもっと大きな島でした。
 右の、明治37年(1904)作成の地図を見ると、この時点では直径が200〜300メートルもある島です。
 日本統治時代に水力発電所の造成のため川から水を引いたため、水位が約60メートル上昇したそうです。
 島の面積は1.7倍に広がりましたが、島の面積は逆に減少しました。
玄光寺パンフレットの写真
2002年8月の写真
 左の上の写真は、後で述べる「玄光寺」で貰ったパンフレットに載っていた昔のラルー島です(撮影年月日は不明)。
 こんなにこんもりと木が生い茂っていたんですね。
 左の下の写真は、埴安さんが2002年8月に写したラルー島です。
 1999年9月21日の台湾大地震で、島の周りを固めていた堤防が崩れてしまったみたいです。
 で、木が数本しかない状態になってしまったようですね。
 現在、島を再建するための工事をしており、したがって島への上陸は不可能でした。
 (現在の日月潭の地図 - Googleマップ

 今では島の頭の部分しか水面に出ていませんが、別な見方をすると、この部分は島の一番高い部分つまり山の頂上、ということになります。
 ここは日楯と月鉾が琉・球の玉を授かった場所、と言えるでしょう。

午前7:33 天津祝詞を奏上

 上陸は断念して、船上から祝詞を奏上することにしました。
 岩さんの先達により、天津祝詞を奏上。続いて王仁三郎聖師の御本体であらせられる神素盞嗚大神と、国魂神・竜世姫命の御神号を奉称させていただきました。

玉藻山の聖場はどこにある?

 王仁三郎は台湾に4回、巡教に行っています。
  1. 昭和2年12月、16日間
  2. 昭和6年1月、26日間
  3. 昭和8年8月〜9月、23日間
  4. 昭和10年3月、18日間
 日月潭には1度だけ訪問しています。最初の巡教のとき、昭和2年12月23日〜24日です。
 その時のことを記した機関誌記事に、霊界物語に登場する聖地・玉藻山は、「治茆山」(ちぼうざん)のことで、「珠母山」(しゅもさん)「珠子山」(しゅしさん)とも呼ばれると、書かれています。※1
 この玉藻山はどこにあるのでしょうか?
 当時の機関誌記事に掲載された王仁三郎の歌日記の中に、次のような歌があります。※2

   巒大山らんだいざん一万百尺治茆山ちぼうざん九千九百尺の高山かうざん

 9900尺はおよそ3000メートルです。
 また霊界物語に、玉藻山は竜の島から見て「東南」にあると記されています。※3
 これはどうやら日月潭から見て南東方向約20キロ先にある、玉山山脈の治茆山(標高2916メートル)のことを指しているようです。





 この山が日月潭から見えると機関誌記事に書いてあるので※4、埴安の景さんに頼んで現地の人(船を出してくれたオジサン)にどの山なのかを聞いてもらいました。
 すると意外な事実が判明しました。
 「慈恩塔」が建っている「二龍山」(標高954メートル)が治茆山だというのです。
 慈恩塔とは蒋介石が母親の恩に感謝するために1971年に建てた9階建ての塔で、高さが46メートルあるため最頂部がちょうど標高1000メートルになっています。
 日月潭の湖畔にある山の頂上に建っており、ラルー島から見て南東方向にあるので、この山が聖地・玉藻山と言ってもおかしくありません。
 その山はラルー島に向かう船の中からしっかり見えました。
 日月潭の水面は標高748メートルなので、高低差は206メートルしかありませんから、こんもりとした丘のように見えます。
 玉山山脈の治茆山との高低差は2168メートル。仮に20キロ離れていたとしても、遠くに見えることでしょう。しかし今回はあいにく曇り空だったため見ることは出来ませんでした。
 さて、玉山山脈の治茆山と、日月潭湖畔の治茆山、どちらが聖地・玉藻山なのでしょうか?
 王仁三郎が治茆山は「九千九百尺」だと歌っているのは事実です。しかし次のような歌もあります。※5

   月日も清く澄みわたる
   神のまします日月潭
   湖面に玉藻の山浮かべ
   人畜住める中の島

 「湖面に玉藻の山浮かべ」とは、湖面に山が映っているという意味でしょうか? だとするなら20キロも離れている山が湖面に映るはずがありません。
 霊界物語第28巻を読んでみると、玉藻山は玉藻湖(日月潭)に近いところにあるような印象を受けます。いくらなんでも玉山山脈の治茆山は20キロも離れており遠すぎます。
 一体どちらが本当の玉藻山なのでしょうか?
 まだまだ研鑽の余地があるようです。
※1…『真如の光』昭和3年1月15日号の岩田久太郎・記「聖師様台湾御旅行記」。『台湾現地研修会資料』(愛善苑、1990年)P68に転載されているもの。
※2…『真如の光』同号の「歌日記」。『台湾現地研修会資料』P63。
※3…霊界物語第28巻第3章に「遠く目を東南に注げば、玉藻山の聖地は以前の儘なれど」と書いてある。
※4…『真如の光』同号の「聖師様台湾御旅行記」。『台湾現地研修会資料』P67。「海抜一万一〇〇尺の巒大山、九九〇〇尺の治茆山及び水社大山は勇姿を前空に列ねて太古の静寂を偲ばしむ。」と書いてある。
※5…『真如の光』同号の「歌日記」。『台湾現地研修会資料』P66。

(作成:2007/10/24)
プリンタ用画面
作成:2009-3-20 15:07:08   更新:2009-3-20 15:09:46   閲覧数:2287
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